2019年11月15日金曜日

陛下、令和の大嘗祭 即位重要祭祀、朱明まで


陛下、令和の大嘗祭
 即位重要祭祀、朱明まで
 皇位継承の重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」の中心儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」が14日夜、皇居・東御苑に特設された大嘗宮で、公的な皇室行事として営まれた。即位した天皇が五穀豊穣(ほうじよう)や国の安寧を祈る儀式で、「秘事(ひじ)」とされる。14日夜の「悠紀殿供饌(ゆきでんきょうせん)の儀」と、15日未明の「主基殿供饌(すきでんきょうせん)の儀」がある。=関連記事228面へ

 神道形式の大嘗祭に対する公費支出を巡っては、1990年に催された前回から、憲法の政教分離原則に反するとの批判が根強いが、政府は令和の今回も公的性格を認め、費用は皇室の公的活動費「宮廷費」を充てた。総額約244千万円となる見通し。
 宮内庁は、安倍晋三首相ら三権の長や閣僚、全国の知事、各界の代表ら675人を招き、悠紀殿の儀には510人が参列した。
 大嘗宮は、約90㍍四方の敷地に、天皇陛下の儀式の舞台となる悠紀殿、主基殿と呼ばれる社殿を含む30余りの建物が並ぶ。悠紀殿の儀は、祭服を着た陛下が午後6時半すぎ、悠紀殿に入られて始まり、午後915分ごろ終わった。
 内部は非公開。宮内庁などによると、陛下は御座(ぎょざ)に座り、皇室の祖という神話上の天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る伊勢神宮の方角に設けられた神座(しんざ)に新穀や酒などを供え、御告文(おつげぶみ)を読み、自らも食べて豊作などを祈った。
 装束姿の皇后さまは帳殿(ちょうでん)
呼ばれる建物に入り、陛下の社殿に向かって拝礼し、皇嗣(こうし)秋篠宮ご夫妻ら皇族も参列した。常陸宮ご夫妻と三笠宮妃百合子さまは欠席、上皇ご夫妻も参加しなかった。
【静新令和1年11月15日(金)朝刊一面】


静かな世論潜む危うさ
 大嘗祭(だいじょうさい)29年ぶりに行われた。宗教儀式への多額の国費支出を巡っては前回、憲法の政教分離原則違反だと議論が沸騰し、過激派のテロも続発したが、今回は目立った動きはなかった。政府関係者は上皇さまが重ねられた活動や、それを継承する天皇陛下への信頼の証しと胸を張るが、天皇を神格化し、戦争に突き進んだ反省を踏まえた議論が尽くされたとは言えない。静かな世論には危うさが潜む。

 大嘗祭 政教分離、広がる無関心
 10月上旬、皇居・東御苑には外国人を含む多くの観光客が集い、建設中の大嘗宮(だいじょうきゅう)をスマートフォンで撮影する姿があった。テロ警戒で作業を非公開とした平成時にはない、令和の新風景だった。
 弱体化
 宮内庁は作業を公開した理由を「社会情勢の変化」とする。その一つが過激派の弱体化だ。天皇制に反対する勢力は前回の大嘗祭があった1990年、テロ・ゲリラ事件を140件超起こしたが、今回はデモを行う程度で強硬さは見られない。
 当時、暴力的な訴えは支持を得られず、世間から孤立した。中核派では「やりすぎだ」と離反者が出た。翌年以降は武装闘争を控える方針を継続している。学生運動が衰退する中、拠点だった大学からの締め出しも強まり、他の組織も軒並み構成員を減らした。警察庁によると、テロ・ゲリラ事件は94年以降、年間10件を下回る。
 新たな姿
 波乱のない大嘗祭となった背景について、政府関係者は「象徴天皇に対する理解が広がったことも大きい」と指摘する。
 戦後の新憲法の下、「象徴」として初めて即位した上皇さまは、大嘗祭などの代替わり儀式を経て活動を本格化。30年余りの在位中、東日本天震災などの被災地訪問や戦没者慰霊にいそしんだ。天皇陛下も姿勢の継承を繰り返し明言している。
 宮内庁幹部は「『現人神(あらひとがみ)』だった戦前と違い、平和を祈り、国民に寄り添うという新しい天皇像が平成で明確に示され、天皇に軍国主義を重ね、危機感を抱く人が減つたのだろう」と語る。

 わだかまり
 ただ、本来的には天皇への信頼と政教分離の問題は別物ではないのか。
 令和の大嘗祭を挙行するに当たり、政府は昨年3月、「会合を3回開いただけで国費を使う前例踏襲を決めた。関係者は「複雑化しかねない議論は避けたかった」と明かす。その狙い通り、世論の反発は強まらず、視線はラストイヤーの上皇さまにばかり向けられた。
 大嘗祭を催した陛下の胸の内は分からない。ただ、皇嗣(こうし)秋篠宮さまが昨年11月の記者会見で宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と苦言を呈したことからは、皇室内に政府に対するわだかまりがあることがうかがえる。
 今の大嘗祭の様式は、天皇の神格化を進めた戦前に成立した。安倍政権に近い保守派は今回、その維持に成功した。
 放送大の原武史教授(政治思想史)は「戦前回帰的なイデオロギー」を感じ取り、「東日本大震災以降、政治ば権力にまみれているのに対し(天皇はそこから超越した『無私な存在』という戦前に似た見方が皮肉にも強まりつつある一と指摘。「憲法によると『天皇の地位は国民の総意に基づく』。政権に批判的な人々も含めて皇室に絡む問題を議論しなくなったが、国民が真剣に考えないといけない」と警鐘を鳴らした。
 主な参列者
 大嘗宮の儀には675人が招待された。主な参列者は次の通り。
 安倍晋三首相夫妻▽大島理森衆院議長▽山東昭子参院議長▽大谷直人最高裁長官▽菅義偉官房長官▽萩生田光一文部科学相▽森喜朗元首相▽山中伸弥・京大iPS細胞研究所所長▽山下泰裕・日本オリンピック委員会(JOC)会長▽皇后さまの両親、小和田恒さん、優美子さん▽天皇陛下の妹黒田清子さんの夫、黒田慶樹さん▽御厨貴・東大名誉教授▽小池百合子・東京都知事
 知事出席は26都道府県
 皇位継承の重要祭祀「大嘗祭」の中心儀式「大嘗宮の儀」に招かれた47知事の出欠について、共同通信の取材に対し、出席と回答したのは静岡など26都道府県だった。20府県は欠席とし、多くは公務を理由とした。大村秀章愛知県知事は「事前には答えられない」として、出欠を明らかにしなかった。
 欠席の理由は「公務日程の都合」(吉村洋文大阪府知事)「出張がある」(平井伸治鳥取県知事、広瀬勝貞大分県知事)など。森田健作千葉県知事は甚大な台風被害への対応とした。
【静新令和1年11月15日(金)朝刊2面「表層・深層」】

大嘗祭一世一度、厳かに
 静叔の中続く祈り
 陛下、夜通し神と向き合い

 皇位継承の最重要儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」が15日未明にかけ、真新しい白木の柱が並ぶ祭殿で厳粛に執り行われた。即位した天皇が一世で一度だけ臨み、国と国民の安寧を祈る秘事。たいまつの淡い炎が闇を照らし、純白の祭服に身を包まれた天皇陛下が現れた。一世一度限りの大嘗祭(だいじょうさい)に臨む緊張感に、晩秋の冷たい空気がさらに張り詰める。周囲の高層ビル群の窓明かりも皇居の巨樹に遮られ、ここには届かない。静寂の中、かがり火にくべたまきがはぜる乾いた音が響き、侍従の先導で回廊を進んだ陛下は悠紀殿(ゆきでん)へと消えていった。
 皇居・東御苑に設けられた大嘗宮。神社の社殿をほうふつとさせる大小30余りの木造建築が整然と並び、装束姿の宮内庁幹部が控える。記者は最後列の幄舎(あくしゃ)に参列した。
 儀式は大半が非公開だ。宮内庁は「皇祖神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)や全ての神々に新穀を供え、自らも食べることで、五穀豊穣(ほうじょう)に感謝し、国と国民の安寧を祈る」とだけ説明する。
 だが、文献や取材に基づき、内部での所作はある程度再現できる。
 悠紀殿に入った陛下は8㍍四方の奥間「内陣」で、中央にある神の寝床とされる「寝座(しんざ)」そばの御座(ぎょざ)に着く。明かりは灯籠だけだ。陛下の眼前には、神が控える「神座(しんざ)」が、天照大神をまつる三重県の伊勢神宮の方角に向けて配されている。陛下はこの空間で「神饌親供(しんせんしんく)」と呼ばれる
所作に臨む。神饌は供え物の料理のことで、一口大に握ったコメとアワに加え、サケやアワビ、クリなど山海の幸が用意されている。カシワの葉で作った箱に納められ、陛下は竹製のはしを使って、采女(うねめ)から渡された皿に丁寧に盛り付けていく。神座の周りに供え終えると、白酒と黒酒を注ぐ。
 正座した状態で約1時間半、この所作を黙々と続ける。手伝う采女は2人。一説には、500回以上はしを運び、皿の数は30枚を超える。
 続いて、陛下は拝礼し、御告文(おつげぶみ)を読む。コメとアワ、白酒と黒酒を自ら口にする「直会(なおらい)」で締めくくり、主基殿(すきでん)でも一連の所作を繰り返し、夜通し神と向き合う。


 垣間見た儀式の一端は、まさに神事であり、政教分離に反する疑いは拭えない。一方で頭によぎったのは「国安かれ、民安かれ」という歴代天皇の言葉だった。連綿と続く祈りの本質がそこにある。大嘗宮の壮大な舞台装置を伴わずとも、意義は損なわれないはずだ。
識者'談話
 明治規定踏襲いいのか
 静岡福祉大の小田部雄次名誉教授(日本近現代史)大嘗祭(だいじょうさい)は質素な小屋で行われた時代もあるが、明治に入り、天皇を神格化させたい政府の思惑で、大規模に行われるようになった。権力者が天皇の権威を大きく見せることで、国民への支配力を強めたい考えがあったと言える。今回も神格化への流れの中で明治にで.きた規定「登極令(とうきょくれい)」をベースにした。果たしてそれで良かったのか。「伝統」という言葉でくくるのは簡単だが、議論が尽くされていないことは言うまでもない。退位による代替わりには賛同できるが、令和の「お祝いムード」が大嘗祭が抱える課題を見えにくくしたとも言える。
 歴史踏まえ伝統更新を
 京都産業大の久礼旦雄准教授(法制史)目立った議論の紛糾もなく大嘗祭(だいじょうさい)が行われたことは、平成時と比べて大きな変化だ。前回以降、学問的な研究が進み、国民に理解が広がったのだろう。近代以降で初のご存命のうちの退位という前例ができ、次に向けた議論もしやすくなっている。大嘗祭に限らず皇位継承儀礼全般について、歴史を踏まえつつ、時代に応じた、より広く国民が納得できる形の模索を始めるべきだ。伝統は常に更新されてきたという視点も大切だ。皇嗣(こうし)秋篠宮さまが国費支出に疑問を呈したことがあったが、多くの国民の理解が得られないと皇室もやりづらいのではないだろうか。
【静新令和1年11月15日(金)朝刊28面】




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