2020年7月30日木曜日

虎狼痿(コロナ)禍にもお参り。




新玉神社 安政五年のコレラ
 日本でコレラが最初に流行したのは文政五年
(一八二二)のことです。安政五年(一八五八)こま・長崎に来たアメリカ軍艦の乗組員から広まり、全国に及ぶ大流行となりました。江戸での死者は三~四万人にのぼったといい、「虎狼痢」(コロリ)「虎烈刺」(コレラ)として大変恐れられました。
 沼津宿ではその年七月に伝染が始まりました西国の大名が江戸へ参勤の途中、その従者が沼津で発病したことから始ったといいます。九月ド句には下火になりましたが、一○九人が死亡しました。厄除けで名高い各地の神社・仏閣には急使が派遣され、盛んに勧請されました。下河原の新玉稲荷はこの時妙覚芋内に勧請されたものでした。(「ぬまづ江戸時代図誌」明治史料館解説書 平成5年三月三十一日発行)

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