2020年7月27日月曜日

アーカイブス第3回代戯館まつり「田邊朔郎博士展」平成18年3月17日沼朝記事


「沼津の明日つくるきかっけに」
29日まで第3回代戯館まつり
テーマは「田邉朔郎」・兵学校附属小で学び琵琶湖疏水手掛ける
上本通り商店街などで組織する代戯館まつり実行委員会は、三度目となる同まつりを開催している。同日から二十九日午前中まで大手町のぬましんストリートギャラリー(沼津信用金庫本店)での展示、二十五日は、午後一時二十分から記念講演会、二時二十分から討論、映写会(午前十時半と午後三時十五分からの二回)を同本店四階ホールで行う。
今回は沼津兵学校附属小学校で学び、琵琶湖疏水(舟運、発電、給水などのために新たに土地を切り開いて水路を設け、通水させること)工事を完成させた田邉朔郎博士(一八六一~一九四四)を取り上げた。
実行委では、「沼津はいろいろな面で活気がない。維新の時、沼津で育って大きなプロジェクトを成し遂げた人が大勢出ている。日本の活性化に関わった人物に光を当てることで、明日の沼津を担うような人になることを感じてもらいたい。物見遊山で行うのではなく、沼津の明日をつくるきっかけになれば」と話している。
朔郎は幕臣、田邊孫次郎の子として江戸に生まれ、沼津兵学校一等教授の田邉太一の甥に当たる。明治二年(一八六九)に太一に従って沼津に移り住み兵学校附属小学校に入学。その後、上京し、同六十年に工部大学校(現・東京大学)を卒業するが、卒業論文が琵琶湖疏水に関するものだったため、その年に京都府知事北垣国道に琵琶湖疏水工事を委嘱される。同二十三年に、この大工事を完成させるが、工事で開発した舟運、水力発電所などの技術が世界的にも注目された。この後、東京帝国大学工科大学教授、工学博士となり,同工科大学長も務めている。関門海峡の海底トンネルにも立案・設計者として携わっている。
二十五日の記念講演会・対談・映写会では、「京都インクライン物語」の著者、田村喜子氏が講師を務める講演会「(仮題)明日をつくった男・田邉朔郎」が開かれる。
また、田村氏と、琵琶湖疏水事業にも詳しい岩井國臣・元国土交通省副大臣との対談「(仮題)近代土木技術の祖・田邉朔郎」。アニメーションと実写を交えた映画「明日をつくった男~田辺朔郎と琵琶湖疏水~」(虫プロダクション制作)の映写会が開かれる。映画は、文部科学省選定作品で、第3回世界水フォーラム参加作品。明治維新の際の東京遷都で衰退しかけた京都の再生を図ろうとした琵琶湖疏水建設事業を、工事責任者だった朔郎を主人公に描いている。
展示では、朔郎の孫にあたる陽一氏(京都市在住)から借りた品と琵琶湖疏水記念館(同市)にあった品を展示している。陽一氏から借用した品では、展示中央にある琵琶湖疎水の全体像を鳥瞰(ちょうかん)した大きな「台覧掛図」(全体俯瞰図)がある。琵琶湖が画面右上に描かれ、手前の山を通して水を流そうとした計画の様子がうかがえる。今回初めて陽一氏が持ち出しを許した貴重な品でもある。
「琵琶湖疏水の百年画集」(京都市編)では、山にトンネルを掘る際、土木作業員の酸素を確保するために、山の上に抜ける縦穴も掘らなければならなかったが、縦穴を横に描いた断面図などがある。縦穴の断面図は作業で出た石などを縦穴から運び出す作業が描かれている。「京都インクライン物語」など田村氏の著作三冊と琵琶湖疏水工事と朔郎のことを記した小学校社会科の教科書二冊も。
また、工部大学校で優秀な成績を納めたため授与された書籍、琵琶湖疏水事業のトンネルなどを描いた断面図「琵琶湖疏水図譜」、工事に携わる人が共通した知識を持つために朔郎が著した当時珍しいマニュアル「工師必携」(携帯ハンドブック)、著書の題字を徳川慶喜に書いてもらった本「明治工業史」も並ぶ。朔郎が所持していた、文化勲章受章の日本画家、堂本印象による「大津三井寺下疏水図」、アインシュタイン博士が京大に講演に来た際に、サインしてもらったという同博士の著作、叔父の太一が使っていた手書きの英語辞書は当時として大変貴重なもので、記念館から出されるのは初めて。日本画が趣味であったという朔郎の画五点も出品されている。
琵琶湖疏水記念館からの品(陽一氏が同記念館に寄託している)では朔郎が水力発電などを学ぶため渡米した際の出張目的を記した「米国へ出張取調を要する条項下書」、琵琶湖疏水事業の発端となった朔郎の卒業論文、同工事の問題点と、それが解決したことを記す「済」が書かれた「疏水工事記録」、金色の巻物である「工部大学校卒業証書」、レプリカは館外に出たことがあるものの本物は初めてという「琵琶湖疏水工事図巻」などがある。夜間は十時までライトアップされ鑑賞できる。(沼朝 平成18年317日号)

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