2015年8月8日土曜日

第4回沼津ふるさとづくり塾「帯笑園と江戸の園芸」

平成27年7月19日沼津史談会「第4回沼津ふるさとづくり塾」
「原・植松家の帯笑園と江戸の園芸」
講師:台東区立中央図書館専門員・平野恵
会場:沼津市原地区センター





当日画像資料



帯笑園 江戸の植木屋と同様の活動
 それに通じるもの現在に残す
 沼津史談会は、第4回沼津ふるさとづくり塾を、このほど原地区センターで開いた。東京都台東区立中央図書館の郷土・資料調査室専門員、平野恵氏が「原・植松家の帯笑園と江戸の園芸」と題して話した。約八十人が聴講した。
 海外品含む珍種や温室
 植物園の機能持ち専門家に評判
 平野氏は、江戸時代に原の植松家によって造営された帯笑園と、江戸で発達した植木屋業界との比較を行い、帯笑園が持っていた植物園の機能について解説した。
 記録上の帯笑園と温室
 はじめに平野氏は当時の医師や学者の旅行記などに登場する帯笑園の記述を取り上げ、そこには海外輸入品を含む珍しい植物があったこと、帯笑園の存在は当時の専門家の間で評判になっていたことなどを紹介した。
 そして、帯笑園について書かれたシーボルトの文章に登場する「温室」に着目し、解説した。
 それによると、当時、帯笑園には複数の温室があり、植松家では「窒(むろ)」と呼んでいた。温室と言っても現代的なガラス張りのものではなく、開閉できる棚を壁などで囲ったものだった.寒さに弱い植物を寒気から守ったり、早咲きをさせたりするために用いられていた。
 帯笑園の窒は一種の名物になっていたようで、「常春房」や「蔵春洞」などの名が付けられ、見学者が窒で和歌を詠んだり茶を飲んだりした記録が残っている。
  植木展と帯笑園 江戸時代には江戸で植木屋が登場し、繁盛していた。植木屋は植物の売買だけでなく、観覧目的の花屋敷(植物園)の運営や菊人形などの菊細工の展示を行い、現代で言うところの遊園地のようなアミューズメントパークとしての機能を持っていた。さらに、花屋敷を出版物で広報したり、植物品評会などの行事を開催していた。
 平野氏は、こうした植木屋と同様のことが帯笑園でも行われていたと指摘。植松家でも近隣の植物愛好家と共に「植木会」などと呼ばれる行事を開いていたことを説明。また、当時の著名人だった学者の海保青陵(かいほ・せいりょう)に園についての文章を書いてもらったことは、園の格式を高めるための広報の側面もあったのではないか、とした。
 さらに平野氏は、植松家が大名に貴重な植物を献上する代わりに「御挨拶」という名目で金銭を受け取っていた記録や、明治の植物学者が日記の中で植松家を「有名なる植木屋」と呼んでいたことなどを取り上げ、帯笑園においても植物の販売が行われていたことにも触れた。
 江戸の植木屋と帯笑園との共通性について解説し終えた平野氏は、まとめの言葉として、江戸時代に流行した園芸文化の担い手だった江戸の植木屋の庭は現存していないが、帯笑園はそれに通じるものであり、帯笑園が現存していることの意味は大きい、と話した。
【沼朝平成27年8月8日(土)号】

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