2015年6月19日金曜日

京都市伏見区:秀吉の伏見城跡か 石垣や金箔瓦見つかる

京都市伏見区:秀吉の伏見城跡か 石垣や金箔瓦見つかる
毎日新聞 20150618日 2156分(最終更新 0619日 0537分)







発掘現場から出土した金箔瓦=京都市伏見区で2015年6月18日午後2時12分、小松雄介撮影
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 豊臣秀吉が隠居所として1592年に造営を始めた伏見城(指月<しげつ>城)跡とみられる大規模な石垣や大量の金箔(きんぱく)瓦片が京都市伏見区で見つかった。民間発掘会社「京都平安文化財」が18日発表した。指月城は完成後まもなく大地震で倒壊し、近くの木幡(こはた)山に移転。資料が少ないため、「実は存在しなかった」との説もある「幻の城」だった。専門家は「指月城の存在を決定づける極めて重要な発見」としている。
 マンション建設に伴い、伏見区桃山町泰長老の約600平方メートルを調査。地下約80センチから南北に延びる約36メートルの石垣が見つかった。石垣は1、2段、高さ0.5〜1メートルが残り、本来は3段以上と推定される。石垣に沿い幅5〜7メートル、深さ2メートル以上の堀も確認。堀から100個以上の瓦片が出土し、うち数十個は金箔で装飾されていた。
 石垣は2012年に京都市上京区で確認された聚楽第(じゅらくだい)や、大坂城本丸跡の石垣と似た手法で積まれ、金箔瓦も聚楽第周辺から出土した瓦と同様、豊臣家の家紋「五七の桐(きり)」の文様が刻まれていた。
 発掘現場東隣の土地は、さらに数メートル高く盛り上がり、現在は公務員住宅がある。発掘担当者は「公務員住宅の辺りが一番見晴らしがよく、本丸があったのだろう。今回見つかったのは本丸を囲むいくつかの石垣の一つではないか」と話す。
 秀吉は1591年に関白職をおいの秀次に譲った後、隠居所として城の建設を始めた。側室茶々に実子秀頼が生まれると、本格的な城郭として拡充。秀次を高野山に追放し、切腹させた。秀次の住居だった聚楽第は徹底的に壊され、多くの建物が指月城に移築された。
 指月城は1596年の大地震で倒壊し、秀吉は命からがら逃れたとされる。地震後は北東約1キロの木幡山に再建されたが、1623年に取り壊され、跡地は明治天皇伏見桃山陵になっている。
 現在、木幡山城跡地の一角に1964年に建てられた模擬天守閣がある。【榊原雅晴、川瀬慎一朗】
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 発掘現場はJR桃山駅の南西約300メートル。現地説明会は20日午後1時半。連絡先は京都平安文化財(090・5670・5195)。

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