2019年2月24日日曜日

正午知らせた午砲の銘板


正午知らせた午砲の銘板
 明治期沼津のよすが 半世紀ぶりに公開
 旧沼津町時代に正午の時報として使われていた大砲「午砲」のネームプレートが、昨年末から西熊堂の明治史料館敷地内の噴水脇に置かれている。一般に公開されるのは、約半世紀ぶり。
 午砲は日露戦争(一九〇四~〇五)の戦勝記念として千本の長谷寺裏に設置され、一九一一年(明治四十四)六月十八日に落成式が開かれた。正午に空砲を発射し、その爆音を時報とした。
 一九二三年(大正十二)に沼津町と楊原村が合併して沼津市が誕生すると、市域全域に砲音が届かないため午砲は廃止となり、市場町の八幡神社で打ち上げる花火が新たな時報となった。午砲に使われた大砲は戦時中に供出されたと見られる。
 ネームプレートは、午砲を設置した台に添えられていたもので、「明治三十七八年戦役記念」と記されている。この文字は、静岡藩主も務めた徳川家達(とくがわ・いえさと)公爵の揮毫によるものだという。表面積は一八六㌢×九二㌢、重さは約ニトン。花崗岩製。
 ネームプレートは、午砲廃止後に千本公園八角池の脇に移され、一九六八年(昭和四十三)に始まった千本浜公園整備事業で同公園入り口付近の市有施設(旧沼津文庫)近くに移された。その後、人目に触れることもないまま、約半世紀にわたって同所に置かれ続けてきた。
 昨年が明治一五〇年に当たることから、明治期沼津の遺物として広く公開するために、明治史料館敷地に移設された。
【沼朝平成31224()号】

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