2018年10月16日火曜日

絵師・歌川国秀 (土屋新一)


絵師・歌川国秀
ー沼津に残る江戸浮世絵の光芒ー土屋新一
 「歌川国秀」という名をご存じの人が、どれぐらいいるだろうか。おそらく今となっては、長沢利之氏と沼津市歴史民俗資料館学芸員方々ほか、それほど多くはいないであろう。申し訳なくも、この絵師は私にとっても未知の人だった。それだけに、その作品と人物像との出会いは大きな驚きと感激であった。
 私は二年前、江原素六先生顕彰会の事務所を整理している時、長沢氏執筆の冊子「絵師・歌川国秀の生涯」に出合い衝撃を受けた。とりわけ大諏訪天満宮の「母娘祈願図」(国秀銘・明治二十四年)と岡宮天神ヶ尾天神社の「母祈願図」(明治二十年)を見比べて、二つがそっくり同じ筆法であるのを知って、天神ヶ尾の絵馬(無銘)が誰の作かの謎が解けた。
 肉筆彩色、板絵、御幣を神格として手を合わせる清楚、敬虔な女性の姿の奉納額。愛鷹山麓の根方街道沿い岡宮の天神社と駿河湾沿いの浜辺近く大諏訪の天満宮、それぞれの立地は異なるが、共に学業上達と学問精進を祈願し誓う(子のためかも)絵馬。絵師国秀に奉納額を依頼し天神様に手を合わせる篤信の女性が存在した。二つの絵を見つめる時、この地が、なかなかに文化の気風の高い土地柄であったことがしのばれる。
 さて、ここに取り上げた書は「『絵師・歌川国秀の生涯』~郷土に生きた浮世絵師~」が正式の名である。B5判三十一ページ、作品の写真三十一枚、一九八四年三月、沼津市歴史民俗資料館学芸員補・長沢利之氏執筆の労作である。
 前書きによると、資料館が二度にわたる特別展を開くにあたり「絵馬」をテーマに取り上げた。そして、これまで無名の絵師として活躍した、とある人物の作品の分布調査をしたところ、彼の存在と膨大な作品群が絵馬として残されていることを知った。この調査の成果を前にして彼()の絵師の情熱と業績を世に送り出したいとの責務を感じて、この書をまとめたという。
 では、その一端を借りて絵師・歌川国秀を追ってみたい。
 江戸浮世絵の盛衰は庶民活動の活発化と、たびたびの風紀取り締まりのはざまで揺れ動いた。明治維新と文明開化は浮世絵の決定的な衰亡の契機となった。
 江戸という庶民の暮らしのありようが衰退し、東京という都市文化の勃興の勢いの中で、浮世絵の価値は薄れ、需要は減り、あるいは名作が外国人の手に渡ってもそのことに感心が無いような世の中になった。こうして浮世絵作者の活動は停止せざるを得なくなっていったのである。
 その時代、一人の浮世絵師が江戸から沼津に移り住んだ。雅号を「歌川一運斎国秀」、本名菊地金平は、市内本市道の五軒続きの長屋に妻さとと二人で生活をしていた。暮らしは貧乏であり、頼まれれば絵馬のほか凧の絵を描いて生計を立て、「たこたつさん」と呼ばれていた。墓所は下河原町の妙覚寺。(ちなみに沼津朝日・昭和五十五年六月一日、同三日号所載、たこたつさんを推究した鈴木健司氏の玉稿)
 今に知られ、崇敬される大作が沼津と富士宮にある。千本の観音長谷寺「浜の観音さん」に百二十反大曼茶羅、大絵馬「湊橋図」を描き、冨士宮市の大悟庵「星山観音さん」では百四十反曼荼羅大観音図を描き終えて十数日後に他界した。数年後、星山村民により「国秀翁碑」が境内に建立されている。
 浮世絵師・国秀は、このように庶民生活に溶け込んで県東部一帯の神社、寺院に大量の絵馬、仏画を描いた。日吉神社祭礼絵巻、日蓮聖人一代絵(一一八余図)、漁村の絵馬、地獄極楽図絵、巡礼図、武者絵、祈願図、その他の作品等、国秀作と推定される絵馬は富士川以東から沼津市内をはじめ伊豆半島一円で三百七十余点に上る。いずれの作品も当時の民衆の生活史料としても価値高いものであり、江戸の浮世絵師・歌川国秀は地方絵師として見事に復活した。
 これら膨大な作品の所在の情報収集、現場駆けつけ、所有者への写真撮影許可依頼懇願、古老への聞き取りと記録、最終的には国秀師の子孫、縁者を関東地方に訪ね歩いて、希代の絵師の実像に迫ろうとした、あるいは民俗史の一ページを開こうとした資料館職員の渾身の努力と執念に敬服するのみである。
 これまでの話は百五十年前、日本の歴史の転換点、苦難の歴史の始まりの時のことである。幕府が滅亡し徳川家が静岡に移封され、旧幕臣達も沼津に移住、しかし俸禄ゼロの徒に転落して、その日の暮らしに窮する極貧の生活であった。国秀と同じ困窮を味わったのだ。江原素六が旧幕臣のために愛鷹山を開拓して生活建設に取り組んだ時代だった。
 江戸時代に別れを告げ、新時代に足を踏み入れた人物が沼津に生きていた。歌川国秀も江原素六も「江戸」を超え、突き抜けて新しく生きた人だった。その人達を支え、共に生きた沼津の人々がいた。
 (公益社団法人江原素六先生顕彰会会長)
【沼朝平成301016()号】

↓大諏訪天満宮奉納絵馬「日露戦後記念:奉天激戦之光景」絵馬。
  菊地金平作といわれている。
 (ブログ監理者追加解説・画像)


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