2014年7月16日水曜日

史談会が第2回市史講座

 史談会が第2回市史講座
国立歴博の荒川章二教授が解説
旧金岡村の一集落全面移転や沼津と4村合併
沼津史談会(菅沼基臣会長)は先月、「沼津ふるさとづくり塾」の第2回市史講座を市立図書館視聴覚ホールで開催。約八十人が聴講した。
国立歴史民俗博物館の荒川章二教授が「戦時下の沼津ー海軍工廠・海軍技研・特攻基地化ー」と題して話した。
荒川教授は市内出身。静岡大教授を経て現職。『沼津市史』近代編の執筆者も務めた。
戦時中、沼津には陸海軍直営の兵器工場が相次いで設置された。昭和十八年には沼津海軍工廠、二十年には名古屋陸軍造兵廠駿河製造所が設けられた。
このうち、海軍工廠では無線機やレーダーが製造された。計画では三万人近くの労働者が関わる生産施設となる予定だったが、終戦時の労働者規模は約一万人だった。
工廠建設に当たって十七年に用地の確保が始まった。明治憲法でも土地などの私有財産は保護されていたが、強引な土地収用が行われた。
住民に対しては、この年の五月二日に海軍当局から金岡村に土地買収の通知があり、その一週間後の九日に住民説明会が開かれ、その場で土地売買協定が結ばれた。
その一方で、土地代金の支払いは遅れ、八割は公債による支払いとなった。収用された土地は農地が多かったが、金岡村旧沢田部落では宅地すべてが収用対象となり、地区住民全員が移転を余儀なくされた。海軍は移転先住居の資材を提供することを約束したが、それも遅れたという。
荒川教授は、海軍工廠の設立が周辺地域に与えた影響についても解説。
それによると、資材や製品の輸送のために工廠と沼津駅を結ぶ道路整備が行われ、外部から沼津に移ってきた労働者のための住居確保や、子弟の通う学校の整備が進められた。
海軍工廠の敷地は、当時の沼津市、金岡村、片浜村にまたがり、これらの地域や隣接する大岡村、静浦村では多くの住民が海軍工廠の労働者となった。
大岡、金岡、片浜、静浦の四村は昭和十九年に沼津市に吸収されたが、工廠の存在が、この大合併に大きな影響を与えたという。
なお、史談会では、第2回地域講座を十九日午後一時半から市立図書館四階で開く。講師はNPO法人伊豆学研究会の橋本敬之代表「韮山代直と沼津藩」と題して話す。
資料代五百円が必要
申し込みは、同会の匂坂信吾(さぎさか・しんご)副会長(電話〇九○ー七六八六ー八六一二)。
(沼朝平成26年7月16日号)

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