平成25年7月20日
「沼津ふるさと塾」
陸軍大将・井口省吾の足跡
講師 井口賢明会員
当日資料pdf
2013年7月21日日曜日
2013年7月13日土曜日
「明石海人と世界記憶遺産」岡野久代
「明石海人と世界記憶遺産」岡野久代
ー「沼津ふるさとづくり塾」をめぐって
『文芸春秋』創刊九十周年記念「新百人一首・近現代短歌ベスト100」(本年新年号)に選歌された明石海人(本名・野田勝太郎、明治三十四年沼津生まれ)の歌は「この空にいかなる太陽のかがやかばわが眼にひらく花々ならむ」である。歌集『白描』の第二部に所収された歌であるが、現代では時代思潮もあって第二部の評価が高いことが分かる。
しかし筆者の『沼津史談』第六十四号(本年三月刊)の小論は、海人のふるさとである沼津に焦点をあてたので、ハンセン病患者としての自伝的な第一部の歌と長歌および詞書が中心となった。第一部には疾病歌とともに故郷を詠んだ歌が満載されているからである。小論といえども論文には論証が不可欠であるので、構想を練りながら、歌集『白描』に収録された短歌の初出を調査していくうちに、沼津に因むことばを挿んだ歌は『白描』の収録から外したことが判った。社会の偏見と差別から家族や友人を守るためである。その一首は機関誌『愛生』(昭和九年八月号)に発表された父の哀悼歌、
ふるさとの千本松原小松原松が下なる父がおくつき
である。沼津では「沼津に下れば千本松千本松原小松原」という歌詞の入った寝かせ歌の子守歌が江戸時代から歌い継がれてきた。また、「沼津千本松原」という祭り歌
は「千本松原小松原」という歌調から始まる。
次に故郷を秘すために『白描』所収から除けた望郷歌の傑作を紹介してみたい。『愛生』(昭和十年三月号)に発表された歌であるが、「駿河の海」を詠んだ、
うつつには見ずて果つらむふるさとの駿河の海をまさやかに見つ
である。脳裏に刻んだふるさとの海が悲槍感とともに美しい声調で詠われている。
沼津史談会が主催する「沼津ふるさとづくり塾」の第1回講座は、明石海人が国立療養所長島愛生園に終焉した命日の六月九日にあたった。厳粛な思いで臨んだ講演はすでに『沼津史談』の拙論の末尾に提言したが、歌集『白描』はユネスコ事業である世界記憶遺産に値することを強調して締め括った。その後まもなく嬉しいことに富士山が世界文化遺産に登録された。
一方、世界記憶遺産には「アンネの日記」「ヴェートーベンの交響曲九番の草稿」「べンゼンの癩病記録文書」などがあり、昨年は日本で初めて、「筑豊炭田の炭鉱画(山本作兵衛)」が登録されている。筆者の提案に対して受講者など、多くの人たちから賛同の声が寄せられている。明石海人の『白描』が世界記憶遺産に登録されるための具体的な行動が必要な時期ではないだろうか。
さて、「沼津ふるさとづくり塾」第3回として、七月二十日(土)の午後一時から市立図害館四階講座室で、「坂の上の雲」にも登場した井口省吾大将のドイツ留学時代を中心に、沼津史談会会員の弁護士、井口賢明氏が講演を行う。
安政二年、沼津に生まれた井口省吾は沼津兵学校附属小学校に学び、兵学校頭取を務めた西周の紹介で東京の同人社に進み、陸軍士官学校を経て陸軍大学校を卒業後はドイツに留学、日清・日露戦争に参謀として従軍した。凱旋して陸軍大学校校長を務めた後、大将に昇進したエリート将校である。
井口省吾の遺した資料は膨大であるが、中でも「年中重要記事」は陸大教官時代から晩年まで三十四年間の日記で、ドイツ留学時代の実態を知る貴重な文献である。
西周の親戚で、幼少時東京神田の西邸に寄宿していた森林太郎(森鴎外)がドイツ留学中、コッホの下で研究していたのもこの頃。森は、井口ともドイツでの接触はあり、帰国後も日清戦争の際は井口が主任参謀森が兵站軍医師長であったので交流があった。そのほか、恩師クレメンス・メッケルとの師弟関係や同時期の留学生との交友関係など、軍人として誇り高く生きた「人間・井口省吾」の実像が明らかにされることであろう。ヴェーゼル市公文書館所蔵の井口省吾のサイン帳には「温故知新」と記されている。
(沼津史談会会員、日本大学短大購師)
なお、七月二十日の「沼津ふるさとづくり塾」第3回講座は、事前申し込みがない方でも、当日受講は可能です。(資料代五百円が必要)
《沼朝平成25年7月13日(土)号投稿記事》
ー「沼津ふるさとづくり塾」をめぐって
『文芸春秋』創刊九十周年記念「新百人一首・近現代短歌ベスト100」(本年新年号)に選歌された明石海人(本名・野田勝太郎、明治三十四年沼津生まれ)の歌は「この空にいかなる太陽のかがやかばわが眼にひらく花々ならむ」である。歌集『白描』の第二部に所収された歌であるが、現代では時代思潮もあって第二部の評価が高いことが分かる。
しかし筆者の『沼津史談』第六十四号(本年三月刊)の小論は、海人のふるさとである沼津に焦点をあてたので、ハンセン病患者としての自伝的な第一部の歌と長歌および詞書が中心となった。第一部には疾病歌とともに故郷を詠んだ歌が満載されているからである。小論といえども論文には論証が不可欠であるので、構想を練りながら、歌集『白描』に収録された短歌の初出を調査していくうちに、沼津に因むことばを挿んだ歌は『白描』の収録から外したことが判った。社会の偏見と差別から家族や友人を守るためである。その一首は機関誌『愛生』(昭和九年八月号)に発表された父の哀悼歌、
ふるさとの千本松原小松原松が下なる父がおくつき
である。沼津では「沼津に下れば千本松千本松原小松原」という歌詞の入った寝かせ歌の子守歌が江戸時代から歌い継がれてきた。また、「沼津千本松原」という祭り歌
は「千本松原小松原」という歌調から始まる。
次に故郷を秘すために『白描』所収から除けた望郷歌の傑作を紹介してみたい。『愛生』(昭和十年三月号)に発表された歌であるが、「駿河の海」を詠んだ、
うつつには見ずて果つらむふるさとの駿河の海をまさやかに見つ
である。脳裏に刻んだふるさとの海が悲槍感とともに美しい声調で詠われている。
沼津史談会が主催する「沼津ふるさとづくり塾」の第1回講座は、明石海人が国立療養所長島愛生園に終焉した命日の六月九日にあたった。厳粛な思いで臨んだ講演はすでに『沼津史談』の拙論の末尾に提言したが、歌集『白描』はユネスコ事業である世界記憶遺産に値することを強調して締め括った。その後まもなく嬉しいことに富士山が世界文化遺産に登録された。
一方、世界記憶遺産には「アンネの日記」「ヴェートーベンの交響曲九番の草稿」「べンゼンの癩病記録文書」などがあり、昨年は日本で初めて、「筑豊炭田の炭鉱画(山本作兵衛)」が登録されている。筆者の提案に対して受講者など、多くの人たちから賛同の声が寄せられている。明石海人の『白描』が世界記憶遺産に登録されるための具体的な行動が必要な時期ではないだろうか。
さて、「沼津ふるさとづくり塾」第3回として、七月二十日(土)の午後一時から市立図害館四階講座室で、「坂の上の雲」にも登場した井口省吾大将のドイツ留学時代を中心に、沼津史談会会員の弁護士、井口賢明氏が講演を行う。
安政二年、沼津に生まれた井口省吾は沼津兵学校附属小学校に学び、兵学校頭取を務めた西周の紹介で東京の同人社に進み、陸軍士官学校を経て陸軍大学校を卒業後はドイツに留学、日清・日露戦争に参謀として従軍した。凱旋して陸軍大学校校長を務めた後、大将に昇進したエリート将校である。
井口省吾の遺した資料は膨大であるが、中でも「年中重要記事」は陸大教官時代から晩年まで三十四年間の日記で、ドイツ留学時代の実態を知る貴重な文献である。
西周の親戚で、幼少時東京神田の西邸に寄宿していた森林太郎(森鴎外)がドイツ留学中、コッホの下で研究していたのもこの頃。森は、井口ともドイツでの接触はあり、帰国後も日清戦争の際は井口が主任参謀森が兵站軍医師長であったので交流があった。そのほか、恩師クレメンス・メッケルとの師弟関係や同時期の留学生との交友関係など、軍人として誇り高く生きた「人間・井口省吾」の実像が明らかにされることであろう。ヴェーゼル市公文書館所蔵の井口省吾のサイン帳には「温故知新」と記されている。
(沼津史談会会員、日本大学短大購師)
なお、七月二十日の「沼津ふるさとづくり塾」第3回講座は、事前申し込みがない方でも、当日受講は可能です。(資料代五百円が必要)
《沼朝平成25年7月13日(土)号投稿記事》
2013年7月12日金曜日
2013年6月22日土曜日
世界遺産:「富士山」登録決定 「三保松原」含め
世界遺産:「富士山」登録決定 「三保松原」含め
毎日新聞 2013年06月22日 17時36分(最終更新 06月22日 18時01分)
カンボジアの首都プノンペンで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)第37回世界遺産委員会は22日、日本政府が推薦している「富士山」(山梨、静岡両県)を世界文化遺産に登録することを決めた。山岳信仰や浮世絵など芸術作品の対象として日本文化の象徴的存在が高く評価された。日本の世界遺産は、2011年に登録された小笠原諸島(東京都、自然遺産)と同年の平泉(岩手県、文化遺産)に続き17件目(文化遺産13件、自然遺産4件)となった。今年4月に構成資産から除外するよう勧告されていた国指定の名勝「三保松原」(静岡市)も含めての登録となった。
世界遺産委員会は16日に始まり、21日からは富士山を含む新規案件を審査していた。
富士山は、富士山信仰で聖域とされる標高1500メートル以上の山域やふもとの浅間神社、白糸ノ滝、富士五湖で資産構成されている。07年に日本政府の暫定リストに掲載、12年にユネスコに推薦された。その後、ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」が現地調査を実施。今年4月には富士山から45キロの距離を問題視した三保松原を除外する条件付きで「登録」を勧告した。文化庁や静岡県など地元自治体は「富士山信仰、芸術の源泉の両面から不可分である」などとして、構成資産に含めるよう、世界遺産委員会の各委員国に要望活動を続けていた。
また、イコモス勧告では、開発や土砂流出防止工事による環境への影響を懸念し、16年までに保全状況報告書を提出するよう求めている。山梨、静岡両県では、富士山の入山料の検討を進めているが、環境保全と地域振興のバランスをどのようにして取るのか、議論が続いている。
一方、イコモスが「不登録」を勧告していた「武家の古都・鎌倉」(神奈川県)は、この日までに推薦が取り下げられた。今後、地元自治体を中心に再推薦に向けた方針を検討する。【福田隆、プノンペン樋口淳也】
毎日新聞 2013年06月22日 17時36分(最終更新 06月22日 18時01分)
カンボジアの首都プノンペンで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)第37回世界遺産委員会は22日、日本政府が推薦している「富士山」(山梨、静岡両県)を世界文化遺産に登録することを決めた。山岳信仰や浮世絵など芸術作品の対象として日本文化の象徴的存在が高く評価された。日本の世界遺産は、2011年に登録された小笠原諸島(東京都、自然遺産)と同年の平泉(岩手県、文化遺産)に続き17件目(文化遺産13件、自然遺産4件)となった。今年4月に構成資産から除外するよう勧告されていた国指定の名勝「三保松原」(静岡市)も含めての登録となった。
世界遺産委員会は16日に始まり、21日からは富士山を含む新規案件を審査していた。
富士山は、富士山信仰で聖域とされる標高1500メートル以上の山域やふもとの浅間神社、白糸ノ滝、富士五湖で資産構成されている。07年に日本政府の暫定リストに掲載、12年にユネスコに推薦された。その後、ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」が現地調査を実施。今年4月には富士山から45キロの距離を問題視した三保松原を除外する条件付きで「登録」を勧告した。文化庁や静岡県など地元自治体は「富士山信仰、芸術の源泉の両面から不可分である」などとして、構成資産に含めるよう、世界遺産委員会の各委員国に要望活動を続けていた。
また、イコモス勧告では、開発や土砂流出防止工事による環境への影響を懸念し、16年までに保全状況報告書を提出するよう求めている。山梨、静岡両県では、富士山の入山料の検討を進めているが、環境保全と地域振興のバランスをどのようにして取るのか、議論が続いている。
一方、イコモスが「不登録」を勧告していた「武家の古都・鎌倉」(神奈川県)は、この日までに推薦が取り下げられた。今後、地元自治体を中心に再推薦に向けた方針を検討する。【福田隆、プノンペン樋口淳也】
2013年6月15日土曜日
2013年6月9日日曜日
2013年5月23日木曜日
沼津倶楽部について

沼津倶楽部について
社団法人沼津倶楽部は、沼津市内外の方たちとの交流を図りつつ、産業文化の向上発展について研究協議し、地域の振興に寄与することを目的として、昭和21年に設立された公益法人です。
その歴史を振り返ると、明治から大正にかけて、沼津市(当時沼津町)が別荘地として貸し出した土地(約3千坪)を茶人でもあったミツワ石鹸の三輪善兵衛氏が借用して、本格的な数寄屋造りの別荘を建てました。千人茶会を催したいとの思いがあったと伝えられています。
太平洋戦争が勃発すると、陸軍省がこの建物を接収し、将校たちの休息所として利用しました。
昭和20年7月16日夜半の空襲によって、沼津の街は焼土と化してしまいました。
沼津市長勝亦干城は、戦災復興を協議する場の必要性を痛感し、戦災を免れ、戦後、陸軍省を経て大蔵省に移管されていたこの建物を取得して、その拠点にしようと考え、有志に出資を呼びかけて、社団法人の設立を計画し、昭和21年11月8日商工大臣(星島二郎)の許可を得ました。社団法人沼津倶楽部の発足です。
社団法人沼津倶楽部は、収益事業としての割烹「沼津倶楽部」を経営しつつ、地域の復興と発展に寄与してまいりました。
駿河湾の潮騒につつまれ、富士を望む千本松原の一角にある「沼津倶楽部」は、地域の人々の交流の場としても注目され、数寄屋造りの瀟洒な和室、大正モダンの面影を色濃く残す洋間、京都より移築された3畳台目の茶席など、そこに流れる匠の心、洗練された気品は、訪れる人々に広く親しまれてまいりました。
先人たちは、この松籟の風情が漂う3千坪の広大な庭園と貴重な木造建築を後世に残すべく努力を重ねてまいりましたが、近年、老朽化が進み、この歴史的な建物を長く存続させるための大修理が必要となり、平成18年秋、篤志者「栄光ゼミナール」の創業者北山雅史氏の協力を得て、大修理に着手し、宿泊施設も建てられ、平成20年11月、装いも新たに再開いたしました。
社団法人沼津倶楽部は、地域の産業文化の向上発展に寄与するための事業を展開しつつ、「株式会社プロジェクトN」(代表北山雅史氏)に施設の管理を委託し、懐石料理の「割烹沼津倶楽部」からフランス料理の「LERESTAURANT」と名称も新たに、沼津の食材を生かした素敵な食事処を営業しております。
なお、社団法人沼津倶楽部の歴代理事長は、勝亦干城、真野為雄、竹内鉄次郎、岡田吾一、林輝彦、諏訪健次郎、名取寛二郎、宇野紳七郎、山本安彦の諸氏です。
現在の会員は、宇野統彦、大古田一郎、勝亦一強、佐藤一宏、武田吉之助、名取正純、永倉敬久、林茂樹、山本豪彦です。
公益法人制度改革に伴い、平成24年5月1日付けで一般社団法人としての認可を静岡県知事から受けました。
平成25年5月
一般社団法人沼津倶楽部
理事長 林茂樹
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