2020年8月18日火曜日
2020年7月25日土曜日
沼津ふるさと講座「岡部長民と小川信」資料

シリーズ沼津兵学校とその人材○67
長崎奉行を父にもつ岡部長民 二百名余の沼津兵学校資業生の中には、自分の代で頭角を現した者も少なくないが、その一方、先祖や父祖が立派な足跡を幕府内で残した、名家の出身者もいる。第四期資業生岡部長民は、長崎奉行をはじめとする顕職に就いた父を持っていた。
長崎奉行は、江戸幕府が遠く長崎で、外交・通商・司法などの仕事を行わせた旗本の重職である。歴代の中には名奉行と称される者もいた。第一一三代として安政四年(一八五七)から文久元年(一八六一)まで在職した岡部駿河守長常もそんな一人である。彼の奉行時代には、踏絵の廃止、綿羊の飼養奨励、外国人居留地の設置、人足寄場の開設、長崎製鉄所の建設といった施策が行われた。また、オランダ人医師ポンペに対し解剖を許可し、蘭方医松本順らをしてコレラ予防に尽力させたり、病院を建設するなど、西洋医学に多大な理解を示した。長常には安政六年に撮影された裃姿の写真が残る。その開明的な立場から、攘夷派に狙われたという。
岡部家は、戦国時代には駿河今川氏の家来だった。後に徳川家康に仕え、娘が秀忠の御乳人になっている。長常の家は、分家のそのまた分家であるが、武蔵・相模で一三〇〇石の禄を食んだ。
長常は養父内蔵助の養子であり、実父は日光奉行・留守居などをつとめた五〇〇〇石の旗本太田隠岐守資寧。長崎奉行就任前は、御小納戸、御小姓、御使番をつとめた。長崎離任後は、外国奉行、大目付、御作事奉行、神奈川奉行、御鎗奉行、軍艦奉行を歴任した。慶応二年(一八六六)四十二歳で没。開明派幕吏の代表岩瀬忠震の次女幸子を養女に迎え、山高信徳の妻に配した。信徳は、堀利熈(外国奉行・箱館奉行)や山高信離(横浜語学所生徒・幕府フランス留学生)の実兄である。
岡部長民は、弘化元年(一八四四)七月十日に長常の長男として生まれた。少年時代は長崎で過ごしたと思われる。父の跡を継ぎ第十代当主となる。先祖代々襲名の五郎兵衛が旧名だった。慶応三年二月に新砲兵差図役勤方に就任、戊辰時には一ランク昇進していたようで、徳川家の駿河移封に随行すべき家来の名簿(「駿河表召連候家来姓名」)には、「大砲差図役岡部五郎兵衛」とある。後の階級で言えば砲兵中尉である。
明治二年九月、大砲差図役として同役だった瀬名義利・林正功とともに沼津兵学校第四期資業生(全五十九名)に及第した。移住後には、廉と改名したらしく、静岡藩の名簿「沼津御役人附」「静岡御役人附」には「岡部廉」(あるいは「簾」)で掲載されている。
学校の政府移管後も最後まで残留し明治五年陸軍教導団に編入された六十三名の中に彼の名前はない。つまり途中で沼津兵学校を退学したことになる。しかし、八年(一八七五)の官員録には、陸軍砲兵少尉として掲載されており、やはり陸軍に入ったことがわかる。十二年時点では中尉、十四年時点では教導団教官・七等出仕。
日清戦争に出征した静岡県出身兵士の氏名・略歴を町村毎に載せた『日清交戦静岡県武鑑』(一八九六年、佐野小一郎編、松鶴堂)には、駿東郡楊原村の箇所に「同砲兵大尉岡部長民氏下香貫ニ出廿七年八月四日応召渡清各地累戦シテ廿八年七月十日凱旋スルモ論功行賞未定」とある。すでに東京在住だったにもかかわらず、同書に収録されたということは、本籍地が楊原村に残っていたということである。また、維新時の移住地が下香貫村だったと推測できる。
自身も出征したらしいが、三男を日露戦争で亡くしている。砲兵少佐で退役した。大正七年(一九一八)五月十七日没。法名は広徳院殿真月浄照大居士、妻の高子(瞭然院殿高雅妙燦大姉)は、昭和十三年(一九三八)まで長生きした。(参考文献)鈴木要吾『蘭学全盛時代と蘭疇の生涯』(一九三三年、一九九四年復刻、大空社)、『長崎事典歴史編』(一九八二年長崎文献社)、『爽恢-岩瀬忠震顕彰碑建立記念誌ー』(一九八六年、岩瀬肥後守忠震顕彰会)、『横浜開港の恩人岩瀬忠震』(一九八〇年、横浜歴史研究普及会)、『江戸幕臣人名事典一』(一九八九年、新人物往来社)(樋口雄彦)
(明治史料館通信Vol.19No.2通巻第74号2003,8,25)
2020年6月24日水曜日
旧跡巡り沼津散策いかが 遠出の代わりに… 史談会がマップ
旧跡巡り沼津散策いかが
遠出の代わりに… 史談会がマップ
「楽しんで歴史知って」
新型コロナウイルスの感染拡大で県境を越えた遠出自粛が求められたのを機に、沼津市の沼津郷土史研究談話会(沼津史談会)が、新たな生活様式に配慮した近場での楽しみ方として、市内の旧跡を巡る"小旅行"を提案している。6月には「沼津まちなか歴史MAP街歩き仕様」を作成。散策した感想などを募集するとともに、「自分が暮らす足元の歴史を見つめ直してほしい」との願いも込めている。
マップはA3判を三つ折りし、3千部印刷した。JR沼津駅から狩野川下流に架かる永代橋までの現在の中心市街地図に、同じ場所にあった沼津城の絵図や旧東海道沼津宿の町割り図、旧跡の所在地などを重ねてある。
2年前に作成した初版に、各種ポイントを60分で歩くコースの順路を紹介した。国内最初の近代小学校とされる「代戯館」や、西洋医学に基つく最先端施設として1869(明治2)年に開設された「沼津病院」など、8カ所を巡る。市内書店と市立図書館の2カ所で無料配布している。
まち歩きを提案した背景には、地元の歴史を知らない市民が増えていることへの危惧(きぐ)がある。同市内は明治以降、城の遺構が徹底的に取り壊された。戦前・戦中に大火や空襲も度重なり、現在は古い街並みの名残をほとんどとどめていない。このため、城下町だったことすら認識していない市民も多いという。
同会は、新型コロナの影響で遠隔地に出掛けるのがはばかられた今春、近場で気軽に楽しめるレジャーとしてまち歩きを勧め、地元への理解や愛着が深まる機会につなげたいと考えたという。同会の匂坂信吾会長(72)は「先人の苦労の積み重ねで豊かな暮らしがあるのに、現在の沼津のまちは過去との結び付きを感じ取りにくい。このままでは地元に誇りを持てず、今さえ良ければという価値観の形成にもつながりかねないと考え、まち歩きを提案した」と話す。
(東部総局・薮崎拓也)
【静新令和2年6月24日(水)夕刊】
アットエス←静新記事クリックして下さい。
2020年5月26日火曜日
街歩きしよう 匂坂信吾(沼朝令和2年5月26日「言いたいほうだい」)
街歩きしよう
沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会)は、三年前から“沼津まちなかウオッチング”という街歩きイベントを開催してきました。
明治二年一月に沼津城二の丸御殿を校舎として開校した沼津兵学校や附属小学校や代戯館(だいぎかん、小学校の前身で長屋を教室とした)、沼津病院、馬場・厩舎など、幕末維新期の史跡の位置は、市民が目で見ることは困難でした。
本会では皆様に分かり易い歴史地図が必要と考え、江戸時代末期に沼津藩が作成した精密な沼津城絵図を現在の沼津駅南地区の市基本図の上にデジタル手法で重ね合わせた「沼津まちなか歴史MAP」を作り、昨年一月発行の『沼津兵学校記念誌』に掲載しました。
このほど、A3判フルカラー三つ折りで、実用的な「同MAP改定版・街歩き仕様(しよう)」三千部を試作したため、希望者に無料で提供します。
MAPは、六月一日(予定)から市立図書館二階の郷土史コーナー及び、マルサン書店仲見世店一階のレジ付近に設置させていただきますので、一人一枚厳守でご活用ください。今はコロナ禍を避けて、一人ひとりが街歩き学習を行う好機です。
本会では近く、沼津の歴史再発見のため“街歩きルポ”を試みることとしました。
そこでMAPを見ながら実際に街歩きを行い、地図への感想や新しい発見などを記事にする「まちなか記者」を募集します。
たとえば西条町の沼津情報・ビジネス専門学校前には代戯館跡の碑が最近設置され、八幡町では沼津病院頭取、杉田玄端の住居があった場所も先日判明しました。
また大手町のマルサン書店付近には明治初期、沼津兵学校の英語教授でイソップ物語の翻訳者として知られる渡部温(わたなべおん)の住居があったと考えられます。
これらは街歩きルポの重要なポイントです。
年齢、性別は問いませんが、今回はご自分で歩ける方に限ります。ルポの参加申込みや問合せは、よろず相談所主人で本会の長谷川徹副会長までご連絡ください。
◆連絡先 上本通り柳屋内、よろず相談所☏055・962・2371
(沼津史談会会長、小諏訪)
2020年4月24日金曜日
国難と国勢調査 匂坂信吾
国難と国勢調査 匂坂信吾
コロナウイルスの脅威は世界各国共通の国難です。
沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会)では、五月十六日に市立図書館で定時総会と記念講演会を開催する予定でしたが、緊急事態宣言に伴い中止とし、市民公開の「沼津ふるさと講座」は、六月以降の実施方法を慎重に検討致します。
総会記念講演のテーマは沼津兵学校の員外教授だった杉亨二(すぎこうじ)に関するものでした。
杉は沼津在任中の明治二年(一八六九)、「沼津政表(統計)・原政表」を作成しました。講師を務めることになっていた翻訳家の松宮克昌氏は、沼津藩士出身で東京工業大学創始者の手島精一と妻・春子(杉の長女)の曾孫に当たる伊佐子さんのご主人です。ご夫妻は東京在住で、沼津訪問を楽しみにしていましたが、この事態で見送りとなりました。
杉は明治維新に際して徳川家と共に駿河に移り、フランス語を教える傍ら「駿河國人別調」を試み、沼津で、日本初の人口統計を手掛けて新政府に招かれ、初代統計局長に就任しました。
その後も終生、国勢調査や統計学の研究に努めましたが、第一回国勢調査が実現したのは、没後三年目の大正九年(一九二〇)十月でした。
今年はそれから百年目〉コロナの影響などから予定通りに実施できるかどうかは別として、第二十一回国勢調査の年に当たります。
杉は長崎出身で、幼少時に孤児となり故郷を離れましたが、没後五十周年の昭和四十二年、長崎大学学長等が地元関係者に呼び掛けて長崎公園内に立派な胸像を設置しました。十二月四日の命日には、市・県の統計課が献花式を開いています。
田上富久長崎市長は、前市長の射殺事件を受けて実施された市長選挙に立候補した時には、市統計課長の職にありました。一昨年、杉の没後百周年記念献花式に参列した松宮氏らと田上市長の集合写真が同市のホームページに掲載されています。
今回、松宮氏が準備された講演要旨や資料は、来年の本会創設六十周年に際して発行する会誌『沼津史談』第七十二号に掲載する予定です。
(沼津史談会会長、小諏訪)
【沼朝令和2年4月24日(金)「言いたいほうだい」】
2020年4月18日土曜日
「沼津史談」№71刊行
【始めに】
創立六十周年に向けて 会長 匂坂信吾
来る令和三年(二〇二一)は、沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会)の創立六十周年に当たります。
平成二十三年(二〇一一)には、創立五十周年記念事業として「西周(にしあまね)と世界、そして沼津」と題するシンポジウムを開催しました、更に八年後に迫った沼津兵学校創立百五十周年に向けて、新たな記念事業を行うための準備を始めました、まず平成二十五年度からは近世及び近現代担当の沼津市史執筆者などを講師にお招きして市民公開講座を毎月開催し、参加者の多くから高い評価をいただいたところです。
また二十八年度からは講座と並行して、他の四団体と記念事業実行委員会を組織する中で、沼津・駿東病院跡記念碑の建立や『沼津兵学校記念誌』の刊行、三十一年一月には記念式典を開催しました。
その成果は画期的なもので、特に記念式典には全国各地から兵学校関係者の子孫が八十人も参加され、新たな交流が始まりました。その過程で、さらにもう一つの新しいテーマを見出すことになりました。
それは、徳川家・静岡藩が設置した沼津兵学校で明治二年(一八六九)、兵学校員外教授の杉亨二(すぎこうじ)が、「駿河国人別調」を企画、実施し、一部の抵抗から藩全体での集計は出来なかったものの、沼津と原での調査結果はまとまり、国勢調査の原点となる「沼津政表(続計)」「原政表」が作成されたことです。
杉はその後、新政府初の統計局長となり、我が国の統計制度確立のため尽力しました。明治十二年には甲斐国現在人別調を実施し、国勢調査の布石としましたが、沼津での経験が役に立ったようです。結局、諸般の事情から、第一回国勢調査が行われたのは、杉が亡くなってから三年後の大正九年(一九二◯)十月一日でした。本年(二〇二◯)は、それから百年日、第二十一回国勢調査実施の年に当たります。
本会としては出身地の長崎市がその功績を称え、毎年十二月四日の命日には長崎公園内の胸像前で献花式を行っている杉亨二が、日本で最初に試みた「沼津政表」「原政表」を世に出し、改めて顕彰したいと考えています。
(「沼津史談」71号1頁「始めに」)
2020年4月17日金曜日
2020年3月22日日曜日
2020年1月19日日曜日
2020年1月10日金曜日
令和2年1月18日沼津ふるさと講座「田口卯吉・上田敏」講師:嘉冶憲夫
沼津ふるさと講座
令和元年度 沼津郷土史研究談話会
(略称・沼津史談会) 主 催
『田口卯吉・上田敏』
国登録有形文化財「田口家住宅」
国登録有形文化財「田口家住宅」
の歴史と関りのあった方々
講師:田口家住宅の6代目住人
嘉治 憲夫 (かじ のりお)
昔の小石川、現在の東京都文京区にある西片町は、江戸時代は福山藩主・阿部家の広大な中屋敷だった。
明治5年、その千坪を借りた初代は桜井熊一。2代目の弟・木村熊二は乙骨太郎乙(おっこつたろうおつ) と終生の友だった。そこに幼くして父を亡くした田口卯吉がいて、二人に助けられて沼津兵学校に入学し多くの友を得た。そして沼津から東京に戻った田口は3代目の住人となり、乙骨の甥・上田敏も住むことになった。
4代目は卯吉の長男・田口文太で、輝かしい経歴の一方、卯吉の借金を30年で支払う苦労も背負い込んだ。
5代目は長男の田口親(ちかし)。その後、平成22年4月に国の登録有形文化財となった住宅を守るのは、親の甥に当たる嘉治憲夫氏で、妻・一子さんと共に6代目の役割を引き受けている。
田口家は沼津兵学校との関りでは、地縁としては阿部正弘の福山藩士となって、この地に住み、維新に伴い静岡に移り兵学校で員外教授を務める一方、沼津で国勢調査に挑んだ杉亨二(すぎこうじ)がいる。杉の長女はるの夫手島精一は沼津藩士・田辺家の出身で西片に住み、晩年の杉亨二はここで過ごすことが多くあった。
血縁、学縁としては、乙骨太郎乙の妻・継は医家・杉田家の出身で沼津との縁が深い。一方、上田敏の孫娘・玲子は森鴎外の孫・小堀鴎一郎と結ばれ、鴎外の同郷で兵学校頭取の西周(にしあまね)と間接的に繋がる。
鴎外は統計にも造詣が深く、西周に学んだ杉亨二を始め大隈重信、福沢諭吉などと同様に、統計学の歴史を歩んだ共通性もある。
本日の嘉治憲夫氏のお話しには、沼津兵学校の関係者の深い絆を探るために150年後の今日、初めての情報が数多く含まれており、これからの兵学校研究のために大いに役立つものと思われます。
<以上、解説はすべて主催者>
令和2年(2020年)1月18日(土)13時30分~
沼津市立図書館4階 第3講座室
2019年12月22日日曜日
12月21日沼津ふるさと講座12月講座「わが故郷片浜の歴史」・「駿豆電気鉄道の思い出」
2019年12月14日土曜日
沼津ふるさと講座12月講座案内
令和1年12月 沼津ふるさと講座案内
◆沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会)主催
「市民公開講座」
12月21日(土)
Ⅰ部 沼津史談会調査研究チーム ◆高島茂樹
『我が故郷片浜の歴史』(平成31年3月、高島茂樹著)について、編集の過程で分かったこと、刊行以来の反響などを著者自ら語る。
13時30分~市立図書館4階第3講座室
Ⅱ部 ◆駿豆電気鉄道(三島・沼津間チンチン電車)の歴史を写真でたどる作品を上映・解説。
◆長谷川徹、飯田善行
13時30分~市立図書館4階第3講座室
2019年11月17日日曜日
令和1年11月16日「ある幕臣の挑戦」田邊康雄講演(沼津ふるさと講座)田邉太一が歩んだ、幕末から明治
↓当日配布資料
沼津津ふるさと講座
◆沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会)主催の『市民公開講座』 11月16日(土) 13時30分 市立図書館4階 第3講座室
田邉太一、及び兵学校附属小に学び、琵琶湖疎水等の事業を成し遂げた田邉朔郎の子孫。
㈲田辺コンサルタントグループ代表取締役田邉康雄 「ある幕臣の挑戦 一静岡藩憾川家・沼津兵学校一等教授の田邉太一が歩んだ、幕末から明治」
◎幕臣(旗本)子孫・柳営会発行『柳営』第30号の特別寄稿を基に、太一の甥で日本を代表するエンジニア・朔郎の孫、現在83歳で生涯現役エンジニア・康雄氏が、来秋予定する「朔郎講座」の前段として語る。
↓「万波を翔る」田邊太一の小説 最後の沼津兵学校時代の章
Banhawokakeru from 徹 長谷川
2019年11月2日土曜日
2019年10月30日水曜日
2019年10月27日日曜日
2019年9月22日日曜日
2019年9月18日水曜日
沼津の誇り 匂坂信吾
沼津の誇り 匂坂信吾
明治初年に徳川家・静岡藩が沼津城二の丸御殿を校舎として設置した沼津兵学校や附属小学校、同沼津病院に在籍した人たちの中には、近代日本の基礎づくりに貢献した人物が数多くおりました。
沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会)は、本年一月に沼津香陵ライオンズクラブ、沼津医師会などと実行委員会を組織して開催した「沼津兵学校創立百五十周年記念式典」で、全国各地からの参加者をはじめ、五百人を超える市民や関係者に、このことを知っていただくことができました。
その後は「沼津ふるさと講座」で、沼津兵学校関係者の子孫をお招きして、親族に伝わる様々な情報を提供いただき、記録に残すこととしました。最初の六月には、江原素六と共に兵学校の経営に当たった藤澤次謙の曾孫、藤澤裕武氏、及び沼津病院医師の桂川甫策の曾孫、桂川靖天氏による談話会を開催しました。
九月二十一日(土)には、午後一時半から市立図書館四階第四講座室で、兵学校英語教授、渡部温の曾孫で日本女子大学名誉教授の片桐芳雄氏(教育学博士)が、生涯外国に行ったことがないものの外国語に堪能で『イソップ物語』の翻訳で知られる曽祖父のことを語ります。ちなみに物語の表紙の絵や挿絵は、渡部温が絵画に秀でていた藤澤次謙に依頼したとのことです。
渡部温が沼津にいたころ、渡部家は仲見世のマルサン書店(市内で唯一、『沼津兵学校記念誌』を販売している)付近に屋敷を構えていました。
二十一日の講座は参加無料で、会員以外の皆様には、資料代として二百円以上の寄付をお願いしています。
また、十月二十六日(土)には、恒例の東京方面へのバス旅行を行います。今まで沼津兵学校関係者の墓地を訪ねて都立青山霊園を.二回、上野の谷中霊園を一回、いわゆる掃苔調査を実施しましたが、今回は谷中霊園と巣鴨の染井霊園を訪れます。
谷中霊園では、藤澤次謙や渡部温の墓地に加えて、沼津兵学校第七期資業生の田口卯吉(政治家、経済雑誌発行者、『日本開化小史』著者)などの墓地を調べます。そして東京大学農学部正門近くの有形登録文化財、田口家住宅を見学します。
その後、巣鴨で昼食をとり、染井霊園では兵学校教授だった杉亨二などの墓地を訪ねます。杉は新政府の初代統計局長となり、日本の統計制度の基礎づくりに努めました。沼津在任中には「駿河国人別調」(人口調査)を実施し、「沼津政表」「原政表」として取りまとめましたが、これが国勢調査の原型になったと考えられます。
バス旅行の参加費は会員以外の方は一人六千五百円です。旅行計画書は、市立図書館一、二階の情報コーナーで講座計画と共に掲載して配置しています。
問い合わせ・申込先=沼津史談会事務所(天野出版工房)電話兼ファックス055-921-1412、または匂坂の携帯電話090・7686・8612。
(沼津史談会会長、小諏訪)
【沼朝令和1年9月18日「言いたいほうだい」】
2019年9月8日日曜日
沼津ふるさと通信 第5号
沼津ふるさと通信
第5号令和元年(2019年)9月1日発行。〒410-0048沼津市新宿町19-4,天野出版工房内
沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会)電話・ファックス=055-921-1412。
発行者=会長・匂坂信吾、編集者=編集部長兼事務局・天野清文
沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会)会員及び調査・研究活動への参加者など関係する皆様には、日頃のご支援ご協力に深く感謝申し上げるしだいです。
さて今回は諸般の事情により「沼津ふるさと通信」を本会の最近における取組概要についての「お知らせ号」として発行させていただきます。
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