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2012年12月23日日曜日

三島暦 (みしまごよみ)


 三島暦 (みしまごよみ)
 三島暦(正しくは三嶋暦)は伊豆国三島(現在の静岡県三島市)の伊豆国一の宮である三嶋大社から頒布された暦で、三島暦の暦師河合(こよみしかわい)家の記録によると、同家は奈良時代末期の宝亀年間(七七〇~七八八)に伊豆に下り、天文台を設けて作暦したことが三島暦の起源としている。
 「三嶋」と明記された暦の最古は、栃木県足利市に所在する足利学校に伝えられた『周易』(しゆうえき)紙背の「永享九年暦」(一四三七)であるが、幕末に法隆寺から発見された「元弘二年暦」(一三三二)や、戦後栃木県真岡市の荘厳寺で発見された「康永四年暦」(一三四五)などの仮名版暦も三島暦と推測されている。
 仮名写本暦(かなしゃほんごよみ)は安時代後半に発生したが、それを版木に彫って印刷した仮名版暦は鎌倉時代後半に作られるようになったと考えられる。武士階級の勃興によって、暦の需要が増大したため、これまでのように書写では間に合わなくなったところから、整版による暦の印刷が開始された。
 当時三島には京都から下って来た暦や陰陽道の専門家が滞在していたので、それらの人々の手を借り、幕府の応援を得て、初めての仮名版暦が発行されたと考えられる。
 三島暦は最初の版摺りの暦であったところから、他の地方で発行された版暦も「三島」とか「三島暦」と呼ばれた。また、写本暦に比べて文字が小さいところから、細いことを「三島暦のような」と形容され、絵柄が似ているところから、茶碗の一種を「三島手」とか「三島茶碗」と呼ぶようになった。
 江戸時代の三島暦は綴暦であったが、幕府や三島大社に献納するものは巻子仕立の写本暦であった。
三島暦は一時は東海。信濃・南関東など広い範囲に頒布されていたが、江戸時代後半には江戸暦や伊勢暦が進出して、伊豆・相模二国に限定されるようになった。
三島暦には冊子型の綴暦の並形と少し大きめ型の他に一枚摺の略暦がある。
201210月号「歴史読本」)

2011年10月3日月曜日

「北海道開拓に貢献した依田家」橋本敬之


「北海道開拓に貢献した依田家」橋本敬之
 松崎の産業礎築く



 伊豆西海岸にある松崎町の市街から東へ数㌔、同町大沢には、「拓聖」といわれ、北海道開拓に一生を捧げた依田勉三の生家がある。
 勉三は明治14年(1881年)、開拓の志をもって単身北海道に渡り、函館から根室・釧路を経て東海岸を踏破、十勝・室蘭を回って帰郷した。勉三は開拓事業のため、翌15年1月1日晩成社を設立。一門の依田善六を社長に据え、自らは副社長となった。資本金5万円は依田一族が出資している。
 勉三は同年鈴木銃太郎とともに再び渡道、開拓場所を十勝に定めた。当初はバッタ被害や病気に悩まされたが、亜麻糸の製糸、牛肉やカニの缶詰づくりを手がけた。「帯広」の名はアイヌ語の「オベリベツ」(アイヌ語で湧水が流れる意)から勉三が命名したという。勉三は、開拓の志を「ますらおが心定めし北の海、風ふかば吹け、浪たたば立て」という歌に込めた。
 勉三の北海道開拓は資金面で困難を極めたが、これを支えたのが兄依田佐二平と分家の依田善六であった。
 天保12年(1841年)松崎湊から出航する300石積以上の廻船は7艘あったが、そのうち、佐二平の父である依田善右衛門が2艘、依田善六が2艘を所有している。慶応3年(1867年)の史料によれば、依田善六は那賀川筋の炭・薪・板木・大竹・鰹を扱っており、その年収は金84両強と推定され、当時有数の資産家であったことがうかがえる。
 一方、兄佐二平は地元子弟の教育に熱心で、明治2年佐藤源吉らと江奈村に謹申学舎を開校。同6年には自費で地元大沢に「大沢学舎」を建てた。同12年には木村恒太郎・大野恒哉らと私立豆陽学校(現・下田高)を創立している。産業振興にも熱心で、同2年、韮山県が農家の副業として養蚕を奨励すると、率先して桑を栽培して蚕室を建て、地域に広めた。同8年には松崎に製糸場を設立。伊豆における最初の機械製糸となり、南伊豆は日本有数の養蚕の地となって「松崎まゆ」として知られるようになった。同15年には依田善六とともに豆海汽船会社を設立して、沼津から西伊豆・下田・東伊豆を回り京浜に至る航路を開いた。
 依田家に残された古文書は北海道開拓に尽力した依田勉三関係資料、それを支えた依田家の殖産事業を中心に、その基盤となる松崎の産業を知る貴重な史料群である。また、勉三を支え続けた依田家のシンボルである住宅は、元禄年間の建築といわれる。松崎の強い西風による火災から逃れるためにナマコ壁を巡らせた独特な作りで、平成22年静岡県指定文化財に指定された。
(NPO法人伊豆学研究会理事長)
【静新平成23年10月3日(月)「文化芸術」】