静岡の道の歴史
全国統一へ街道整備
1600年の「関ケ原の戦い」に勝利した徳川家康は全国を統一するため、街道整備を始めました。1601年、街道沿いの集落である「宿駅」に人や馬を停めておき、宿駅ごとに人や馬を交代させながら書状や荷物を運ぶ「伝馬」の制度を始めました。
江戸城と朝廷のある京都との連絡をスムーズに行うため、宿駅には馬36匹(※)を置くことが義務付けられました。宿駅は馬を飼う代わりに、屋敷や敷地に課税される年貢の一部を免除されたほか、旅人を泊めたり、荷物を運んだりして収入を得ることも認められました。幕府は宿駅と宿駅の間に松を植えることを勧め、1里(約4㌔)ごとに塚を置く一里塚も設置しました。
幕府は東海道のほか、中山道、日光街道、奥州道中、甲州道中の「五街道」を整備しました。東海道53宿のうち静岡県は22宿あり、璽要な地域だったことが分かります。道が整備されたことで参勤交代により多くの大名が通り、さらに庶民の旅も広がって、経済的にも発てん展しました。
【静新令和5年12月24日(日)YOMOっと静岡】
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