先に沼津せんべいの発売を森川菓子店発売と発信したが、間違いだった。時代も昭和初期
本通りのダルマ軒であった。
愛楽せんべい
甘藷を薄く切って焼き、白砂糖を溶かして塗った愛楽(あいらく)せんべいという菓子が、名取商会から売り出されたのは、昭和七年頃のことである。
愛鷹山の甘藷は品質が優秀で、全国に知られているが、それを原料にしたもので、初めはなかなか好評であった。鉄道弘済会で売りさばかれ、関西地方で特によく売れた。
沼津地方は風土に恵まれ、海山の幸が豊富だが、これといった土産物がなかった。観光面に役立てようと始めたものであった。名取翁の姉の子に義幸という人がいて、沼津でぶらぶらしていたので、その人のために仕事をさせた。先進地の川越市へ勉強にやり、大手町に工場を拵えて生産にとりかかった。原料は甘藷だったが、このせんべいを作るのには、どんな芋でもいいということではなかった。またいつでも作れるというものではなかった。せんべいに適した最優秀の甘藷を、一年のうちの最盛期に、いっぺんに作ってしまわなければならないものだった。その経費は大変であった。
出来上がった製品は、野趣にあふれ、風味豊かな甘味品として喜ばれたが、関西地方での好評に引き換えて、原料が甘藷であるだけに沼津地方では、特別に珍しがられなかった。高級品として見られなかったのが、思わぬ誤算であった。
それでも「愛楽せんべい」は沼津の名産品として、終戦の少し前まで約十年間、名取商会から売り出された。中止されたのは、採算が合わなかったことにもよるが、戦時中の砂糖の統制によるものである。終戦後、物資が豊富になり、砂糖も自由販売になったのにも拘わらず、愛楽せんべいはまだ復活されていない。これはどういう理由からであろうか。「愛楽せんべい」を知っている人たちに惜しまれている。
(名取栄一翁伝記より)
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