狩野川の御成橋に残る痕跡
大川さん寄贈 説明板設置へ
沼津市在住の元食品会社会長の大川久さん(77)が26日、同市中心部を流れる狩野川の御成橋に今も残る第2次世界大戦の空襲痕を後世に伝える説明板を市教委に寄贈した。市教委は7月上旬に説明板を御成橋に設置する予定。
御成橋の空襲痕は、1945年4月11日、現在の通横町周辺が米軍に爆撃された際に橋上の柱に爆弾の破片が当たってできたとされる。説明板はステンレス製で縦50㌢、幅30㌢。御成橋の歴史を研究している同市の郷土史家仙石規さん(57)の「戦争の記憶を風化させてはいけない」との提案を受け、大川さんが作製した。
大戦当時、軍需工場が多かった沼津市は、45年1月から8月にかけて9回ほど空襲を受けた。特に7月17日の空襲は9千発以上の焼夷(しょうい)弾が投下され、焼失家屋9523戸、死者274人の犠牲が出た。
当時8歳だった大川さんも7月の空襲で自宅を失った。市役所で工藤達朗教育長に説明板を贈呈した大川さんは「街が真っ赤で、夜なのに昼間のようだった」と振り返り、「学校でも戦争の記憶を語り継いでほしい」と述べた。同席した仙石さんは「御成橋の空襲痕を見て、戦争の恐ろしさや平和のありがたさをあらためて感じてもらえたら」と話した。
(静新平成26年6月27日朝刊)
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