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2016年10月24日月曜日

ふるさと大平 第9回歴史講座・座禅・史跡めぐりウオーク












静止画像資料




大平の歴史学び、座禅とウォークも
 中将岩伝説の主人公に二説
 大平郷土史研究会(杉本武司会長)は「第9回歴史講座&座禅・ウォーキング」を二十三日、大平で開き、同地区以外の十四人を含む二十九人が参加した。
 歴史講座と座禅体験、史跡めぐりウォーキングの三つを合わせた取り組みで、最初に地区センターで開かれた歴史講座では、前大平地区連合自治会長で、同研究会の会長も務めたことがある的場達雄さんが「再び『中将岩伝説』の背景を追うー重衡か維盛かー」と題して話した。
 鷲頭山の大平側山中には中将岩と呼ばれる大岩があり、この岩について中将岩伝説(中将岩物語、中将姫伝説)と言われる物語が伝えられている。
 その物語の主人公である中将が、平重衡(本三位中将、清盛の五男)ではなく、平維盛(清盛の長男重盛の長男)であるとする説もあり、二人の生涯をたどるなどして、この二説を対比し、解説した。
 引き続き、二㌔程離れた鷲頭山麓の臥雲寺に移動。住職から座禅の組み方や座禅に関する話などを聴いた後、二十分程の座禅を行った。参加者達は、時計を見ることができないため、いつ終了時刻になるのかと考え、時間が長く感じられたという。

 同寺を後にすると、同寺とも深い関係のある近くの徳楽寺に移動、さらに山際を移動しながら大平の東端まで行き、そこから北上して道祖神や、点在する史跡などを見て回り、地区センターまで戻った。


【沼朝平成28年10月31日(月)号】

2015年2月11日水曜日

大平地区に希少な古城跡

大平地区に希少な古城跡
静岡古城研究会の水野茂会長が紹介
 大平地区連合自治会、大平治水・まちづくり対策懇話会、大平郷土史研究会は五日、特別講演会を同地区センターで開催。静岡古城研究会の水野茂会長(静岡市)を講師に招き、一般住民も出席して「謎の大平古城について」と題する話を聴いた。

 中世の城郭そのまま残る
 「国宝と言えるほど素晴らしい」
 同地区連合自治会の的場達雄会長は、水野さんが若い時から会社勤めの傍ら全国の古城や山城を探索していること、沼津市史編纂にも携わり、その際、大平地区と近くの山々を調べたことなどを紹介した。
 講演に移ると、水野さんは冒頭、大平古城は「国宝」という言葉を用いることができるほど素晴らしく、四百五十年ぐらい前の城跡がそのまま残っていることを話した。
 大平古城は大平を取り囲む山並みの大平山から大平新城までの間の山の頂にあり、大半は、函南町との境界を挟んで同町日守地区に存在するが、一部が大平地区にかかっている。平成十年、静岡古城研究会の会員によって発見された。
 水野さんによれば、中世の大平地区は駿河国駿東郡泉庄(いずみのしょう)大平郷と呼ばれ、後醍醐天皇から足利尊氏に与えられ、その後、今川氏の領地になった。
 また、大平地区の山には、ほかにも複数の城跡があることに触れ、「広くない地域に、これだけの城があるのはなぜか。山城というのは戦う装置だということ。だから、それだけ戦いがあったという証になる」とした。
 今川義元から家督を継いだ氏真は、武田氏との戦いで追われ、掛川城を明け渡して大平城に入る。「氏真が大平に入ったというのは間接的な文書しかない」としながらも「永禄十二年、氏真は五月十二日に掛川城を出て一カ月間ぐらい大平にいた。その大平は、どこなのか。大平郷はここしかなく、大平古城があることは確実」だとの見方を示した。
 その上で、「僕は十数年前、徹底的に調べたが、氏真が入ったのは明らかに、ここ(大平古城)しかない。これは間違いないことで、(城の)構造から言っても間違いない」とした。
 その構造は、今川氏の賎機(しずはた)山城(現静岡市、築城一四一〇年)に似ているという。
 最後に、水野さんは「大平新城、大平古城は地域の歴史的文化遺産。公園化すると破壊に結びつくので、相談しながらいろいろな形で利用していただきたい。(古城の)これほどきちっと残っているのは他に例がない」と呼びかけた。

(沼朝平成27年2月11日号)

2013年2月22日金曜日

 地域の石仏で"人集め"

沼津・大平地区プロジェクト始動
 地域の石仏で"人集め"
交流拡大、中高年照準


 沼津市大平地区の住民が、地域に多く残る石仏に「健康」「歴史」「芸術」といった中高年を引きつけるキーワードを結び付けて人を呼び込む"石仏の里"を構築するプロジェクトを始めた。人口減少が進み停滞ムードが漂う同市に、交流人口を増やすことができるか、住民の取り組みに期待が集まる。
 鷲頭山や大平山などが連なる通称「沼津アルプス」と狩野川に囲まれている大平地区。主に江戸時代以降に造られた道祖神や馬頭観音、狩野川の氾濫に苦しんだ農民が立てたと伝わる「道免(どうめん)さん」など243の石仏が残っている。
 大平地区連合自治会の的場達雄会長(68)は「大平の歴史は『狩野川との闘い』と言っても過言ではない。開発の波にのみ込まれずに残った石仏は、当時の住民の苦労を物語っている」と話す。
 自治会は本年度から市と協力して散策路や案内看板の整備などに取り組んでいる。今後は、沼津アルプスの散策と石仏巡りを組み合わせた歴史ウオーキングや石仏が醸し出す懐かしい風景を題材にした写生大会、写真撮影会なども計画し、中高年が多彩な趣味を楽しめる地域を目指す。
 沼津市の人口減少は全国的に見ても著しい。総務省の人口移動報告によると、2012年の転出超過数が1439人と全国自治体で7番目に多かった。2年後には20万人を割り込むとの推計もある。
 大平地区もこの10年間で人口の約8%に当たる約350人が減少した。
 一方で、長年の懸案だった道路整備や治水対策が進み、住環境は向上している。定住人口を増やすために、まず交流人口の拡大を図る的場会長は「地域の魅力に光を当て、広く発信していきたい」と力を込める。
《静新平成25年2月22日(金)夕刊》