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2020年5月12日火曜日

歴史に学ぶ  土屋詔二


歴史に学ぶ  土屋詔二
 新型コロナ感染症は、時を追って影響が深刻になっている。GW(ゴールデンウイーク)を多くの人が家に寵(こも)って過ごし、例年賑わう観光地も閑散とし、市内の産業も大きなダメージを受けている。死活問題なのに政府の動きはチグバグだ。
 新しい感染症だから手探りになるのはやむを得ないかも知れない。しかし、まったく新しいわけでもない。パンデミックは何回も起きているし、歴史上の緊急事態は少なくない。
 安倍晋三首相は緊急事態宣言延長の記者会見で「敬意、感謝、絆があればウイルスに勝てる」と言った。しかし、今必要なのは、美辞麗句の精神論ではなく、根拠に基づく合理的思考ではないか。まずPCR検査であろう。
 医療崩壊を招くなどの理由で、検査が抑制されてきた。例えば専門家有志の会のサイトで「#うちで治そう」「#四日間はうちで」と訴求されており、広く「四日ルール」と呼ばれた。しかし、在宅療養中に重篤化して亡くなる人が出てきた。
 加藤勝信厚生労働相は「誤解があった」で片付けるが、誤解なきように伝えるべきではないか。有志の会の訴求ぺージは削除されたが、死んでしまった人は戻らない。
 チグバグの典型は布マスクの全戸配布だろう。二月の初め頃よりマスクが入手困難だったのは事実だ。しかし四六六億円の予算は、もっと有効な使途があったと思う。不衛生品があったりして未だに配布れていないが、既に市販マスクが出回り始めている。せめて未配布マスクの配達費用はカットすべきだ。
 安倍首相は五月六日のインターネット番組で「(布マスクの)配布によってマスグの価格が下がったのは成果だ」と自慢していたが、問題の捉え方が違う。方針の誤りを認めないで当初案に拘(こだわ)るのは太平洋戦争の敗因でもあった。インパール作戦が代表であるが、物資補給がないまま作戦を継続し、戦闘死よりも戦病死・餓死の方が多いという悲劇を生んだ。硬直した作戦と物資補給(兵姑=へいたん)軽視の犠牲である。
 コロナ感染症の場合、対策の拠点となる中核病院で院内感染が起きてしまった。人員だけでなく、物資・装備が足りないのである。あるいは高齢者施設がクラスター化するケースが多い。ギリギリのキャパシティだから、感染者が発生すれば、すぐにオペレーションに影響する。しわ寄せは現場が被るのだ。
 国会では不要不急な検察庁法の改悪が、法務天臣が出席しない内閣委員会で強行されでいる。先日の日本経済新聞のコラム「春秋」に、チグバグの語源が解説されていた。鎮具破具で、鎮具は金づち、破具は、くぎ抜きである。逆に使うようなことを指すと
いう。
 一斉休校の児童・生徒は、もう三カ月目に入った。自分の頭で考える機会になれば「艱難(かんなん)汝を玉にする」になるだろうが、限界に近いと思う。間もなく再開されるだろうが、登校できる幸せを存分に味わって欲しい。
(三島市)
【沼朝令和2512日(火)言いたいほうだい】
 

2020年2月6日木曜日

あすなろう 土屋詔二


 あすなろう 土屋詔二
 受験シーズンである。しかし来年から実施される「大学入学共通テスト」が混乱している。目玉だったはずの英語民間試験や国語・数学などの記述式問題が延期になった。
 英語民間試験について、機会の不平等が生ずるという指摘に対して、萩生田光一文部科学相が、「身の丈に合わせて」と発言して炎上した。萩生田文科相は善意から発言したのだろうが、不平等が前提では、教育の機会均等という点から、やっぱり問題であろう。
 そもそも確実に少子化が進む中で、学校側は、それぞれ差別化戦略を工夫している。果たして共通試験が必要なのだろうか。さらに言えば、「身の丈に合わせて」という発想が教育行政の責任者として如何なものか。学習や成長のダイナミズムについての認識である。
 経営学者の伊丹敬之さんは『経営戦略の論理』で次のように指摘した。
 「カニはおのれの甲羅に似せて穴を掘る」という諺がある。企業の経営戦略で言えば、資源や能力に合わせた戦略を取れということである。
 一見正しいように思えるが、長期的な成長のためには必ずしも適切ではない。成長のためには甲羅を超えた穴を掘る必要がある。掘った穴はオーバーエクステンション(過度な拡張)である。短期的には不均衡であるが、その不均衡が成長を促す。身の丈に合わせると、すぐに「成長の限界」に突き当たる。
 井上靖さんの自伝的小説『あすなろ物語』は、新潮文庫の中でも発行部数ベスト二○に入るという。多くの読者を獲得してきた作品であるが、別に『あすなろう』という短篇がある。旧制金沢四高の同級生四人と共通のマドンナが、一五年ぶりに再会する物語だ。
 一人が「自分の郷里の伊豆地方では槇のことをアスナロウと呼んでいる」と言う。すると博識の友人が「槇ではなく明日は檜になろうと夢見ながら成長する羅漢柏のことだ」と訂正する。羅漢柏は檜科の一種でヒバなどと呼ばれるが、翌檜(あすなろ)とも書く。
 『あすなろう』の五人は、夢見ていた人生とは異なる生活を送っていた。作家デビューが遅かった井上さんは、この話に思い入れがあったと思う。井上靖文学館の前庭にも、生誕百年を記念して植樹された翌檜がある。
 オーバーエクステンションとは、言い換えれば「高望み」である。もちろん翌檜が檜になることはない。やみくもな高望みはムダであり、適度な過度拡張であるべきだ。形容矛盾のようであるが、「無理はせよ、無茶はするな」という匙加減が矛盾を止揚する契機になる。
 親の年収などによって塾など学習環境に差が出るので、格差は世代を超えて連鎖する。エスカレーターのような学校で学ぶのを、特権だと思っているように見える世襲政治家もいる。「身の丈」と考えるよりも、「あすなろう」と頑張る方が健全ではないだろうか。
(高島本町)
【沼朝令和2年2月6日「言いたいほうだい」】

2020年1月10日金曜日

田邉太一に学ぶ  土屋詔二



 田邉太一に学ぶ  土屋詔二


 昨年は様々に公のあり方が問われた年だった。政治家の公務私物化、隠蔽・廃棄された公文書、付度優先の公僕、税における公平、公益事業と贈収賄、環境汚染や気候変動・・・・。
 対照的だったのは中村哲医師であろう。旧ソ連による侵攻やアメリカの空爆で荒れ果てたアフガニスタンで「人々の健康を守るためには清潔な水と食糧が必要であり、灌漑事業が欠かせない」と、自ら導永路を掘って沃野に変えた。利他の精神こそ公の原点である。襲撃され亡くなったのは痛恨極まりない。
 灌漑などの土木事業は、公益に資することが本領であろう。芦ノ湖の水を流域変更して静岡県側に引いた深良用水は、われわれに馴染み深い。同様に琵琶湖の水を京都に引いたのが琵琶湖疎水である。明治維新後、大規模土木工事は「お雇い外国人」の指導によるものが多かったが、琵琶湖疎水は田邉朔郎の卒業論文を具現化した稀有の例である。
 昨年一一月一六日に沼津史談会ふるさと講座で、田邉康雄氏の『ある幕臣の挑戦』を聞いた。ある幕臣とは朔郎の叔父の田邉太一のことである。樋口一葉に小説家への道を決意させた三宅花圃(龍子)の父親でもあるが、朔郎に比べると一般の知名度は低いだろう。
 昨年出版された木内昇『万波を翔る』は、太一が主人公の歴史小説だ。幕末から明治にかけての激動の時代、ぶれない心棒()を持って活動した太一の成長譚を、女流作家が洒脱な筆致で描いている。開国が国民生活に与える影響についての論議は、TPPや為替政策といった現在のテーマにも重なる。
 太一は幕府直営の昌平坂学間所で優秀な成績を収め、勝麟太郎や赤松則良らと共に長崎海軍伝習所の三期生に選ばれた。幕府は開国に伴う難題に対処するため、安政五年に外国奉行を設けた。下僚になった太一は上司と衝突しながら公儀として尽力したが、幕閣主導の外交は失敗続きで十年後に幕府は倒れた。
 転換期にあって必要なのは、幕藩体制下での公ではなく、それを超えた日本という枠組での公だった。太一は明治二年に徳川家創設の沼津兵学校教授に招聘され、国史や公用文の作成などを教えた。兵学校は兵部省の管轄になり、太一も勝に乞われて外務省に出仕した。『幕末外交談』という回顧録がある。
 講師の康雄氏は朔郎の孫、太一の曽姪孫。京都大学の福井謙一研究室の出身で、ノーペル賞を受賞した吉野彰氏の先輩にあたる。八〇歳を超えた今も、現役の技術コンサルタントである。五街道の一つの甲州街道が、江戸城から親藩の甲州藩への脱出路だったなどの話も交え、楽しく拝聴させて頂いた。
 現在は第三の開国と言われる。利己に走るリーダーが多いが、利他を優先する「公」の精神の人材が求められる。先駆けとしての田邉太一に学ぶことは多いのではないか。
(高島本町)
【沼朝令和2年1月10日(金)言いたいほうだい】

2019年9月29日日曜日

基礎の重要性 土屋詔二




基礎の重要性 土屋詔二
 
 九月二一日の「沼津ふるさと講座」で、片桐芳雄愛知教育大・日本女子大名誉教授の講演『沼津兵学校と渡部温』を聴いた。沼津兵学校には徳川の威信をかけて優秀な人材が集められたが、渡部温とはどんな人物なのか。
 下級幕臣だが、長崎や下田で英語を身につけ、開成所蕃書調所を経て兵学校の教授になった。イソップ物語の翻訳で有名だが、驚くのは清朝最盛期に康煕帝の命により編纂された大部の『康煕字典』の校訂を独力で成し遂げたことだ。もちろん地頭も優れていた筈だが、幕府の漢学の懐が深かったのだろう。
 このことは教育や研究のあり方のヒントになるのではなかろうか。高校国語の指導要領が、実益性の少ない詩歌や古典が削られる方向へ変わろうとしている。大学でも人文科学系の学問が軽視されているという。
 AIの普及が喧伝されているが、これらは無用なのだろうか。理系でも基礎的分野への研究費が削られてきた。結果として、わが国の論文数は頭打ちになっている。量質は相互に転化する。質の高い論文数を示す国別ランキングで、わが国は二○○○年に四位だったが、二〇一六年は一一位に低下した。効率性の重視が裏目に出たと考えられる。御殿場高原「時之栖」は、昔は綿羊場と呼ばれる牧歌的な場所だった。小学校の時の恩師の家が近くにあり、よく遊びに行った。一角に『方丈記』の冒頭部分の「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」という有名な文章の碑が建っている。隣接して方丈の庵と思われる建屋を建築中だ。
 『方丈記』は災害文学と言われるように、鴨長明が見聞した「安元の大火」「治承の辻風」「福原遷都」「養和の飢餓」「元暦の大地震」等の災厄が綴られている。長明が『方丈記』を執筆した庵は京都の日野にあった。
 七月一八日に放火された京都アニメーションのスタジオとは目と
鼻の位置と言って良い。長明がこの事件に遭遇していたら必ず取り上げただろう。悲惨な事件だが、犯人も重度の火傷を負っていて、未だに動機等は不詳だ。
 奇しくもNHKの朝の連ドラで、草創期のアニメ業界を描いた『なつぞら』が放映中だった。アニメーターという職種に親しみを感じた人も多いと思う。クールジャパン戦略の核として位置づけられるが、アニメは動く絵巻物だという説明を聞いた。理解しやすいように絵入りでストーリーを表現する。
 AI研究者によれば、AIと中高生は、複雑な文章を読解する力が弱いことが共通だという。アニメに親しむ時間が増える一方で、文学離れが進んでいることが一因だろう。
 理解しやすいことは、一方で複雑な文脈を理解することから遠ざけるだろう。実用性重視は、基礎の軽視に繋がる。教育のあり方を単一の指標で考えるべきではない。
(高島本町)
【沼朝令和1929日「言いたいほうだい」】

2019年9月12日木曜日

水の制御技術 土屋詔二


水の制御技術 土屋詔二
 八月一〇日の沼津史談会「沼津ふるさと講座」で、狩野川仲町右岸の石積みの「出し」が取り上げられた。
 私は初めて聞く話だったが、仲町の医師、高田好彦先生が本紙に書かれた記事を元に、史談会の匂坂信吾会長と長谷川徹氏が現況と関連資料を紹介した。甲州流水制の一種だろうというが、今後の調査成果が楽しみだ。
 甲州盆地の春はピンクに染まり、桃源郷の趣になる。ブラタモリのお題は、三つのプレートがせめぎ合う「ミラクル盆地は試練がいっぱい」だった。
 第一の課題は水の制御である。笛吹川、釜無川、御勅使川等の扇状地河川は、流路が定まらず氾濫しやすく、保水性も小さい。甲州流治水は水害を軽減し、水の恵みを享受するための技術の体系である。
 一番の難所は釜無川と御勅使川の合流個所だった。信広は四川省岷江の都江堰をモデルにして、信玄堤と呼ばれる不連続堤を軸に難題を解決した。都江堰は世界遺産であるが、今なお現役の重要施設である。遣明使の天竜寺の僧策彦周良が学び信玄に伝えたという。
 田方平野の開発にも甲州流が活用されている。狩野川は大見川が合流する修善寺橋付近から流れが緩やかになる。蛇行して氾濫を繰り返し、上流の肥沃な土を堆積した。この土地を開墾したのが、戦国の敗者として伊豆に流れてきた武田の家臣たちだった。霞堤や雁金堤と呼ばれる不連続堤を築き、洪水の制御と内水の排除を両立させて美田に変えた。
 一九五八年の狩野川台風の被害は、上流部の山地一帯で発生した鉄砲水や土石流による大洪水が原因である。台風は伊豆半島のすぐ南を通過したが、湯ヶ島で一時間120㎜、総雨量753㎜というまさに記録的な降水量だった。
 徳川家康は一五九〇年に関八州に入封された。当時は小田原か鎌倉を拠点にすると思われたらしい。しかし家康は近辺に利根川、荒川が流れ、舟運路の開発により関東圏だけでなく、東北圏も組み込める江戸を選んだ。
 江戸に入ると、いち早く行徳の塩を運ぶ小名木川を開削し、生活必需品=戦略物資の確保に動いた。国土経営の眼力に敬服する。
 徳川臣下の伊奈氏は、忠次・忠治・忠克の三代かけて、利根川の流れを太平洋に東遷させた。
 文明は大河川の周辺で生まれたと言われるが、生活や生産が高度化すれば、水害の被害も大きくなる。寺田寅彦流に言えば「文明が進むほど災害は激化する」。
 水の制御には、上流と下流、右岸と左岸、高水(洪水)と低水(水利)など、さまざまなトレードオフ関係がある。その調整は公共の原点だろう。
 中国最古の夏王朝の始祖・禹は、治水王だった。日本にも約百基の禹王碑がある。国土地理院は新たに自然災害伝承碑の地図記号を作ったが、地域史と災害史は不可分である。水の制御技術はまさにシビル・エンジニアリングの名に相応しいのではなかろうか。
(高島本町)
【沼朝令和1912日「言いたいほうだい」】