大平地区に希少な古城跡
静岡古城研究会の水野茂会長が紹介
大平地区連合自治会、大平治水・まちづくり対策懇話会、大平郷土史研究会は五日、特別講演会を同地区センターで開催。静岡古城研究会の水野茂会長(静岡市)を講師に招き、一般住民も出席して「謎の大平古城について」と題する話を聴いた。
中世の城郭そのまま残る
「国宝と言えるほど素晴らしい」
同地区連合自治会の的場達雄会長は、水野さんが若い時から会社勤めの傍ら全国の古城や山城を探索していること、沼津市史編纂にも携わり、その際、大平地区と近くの山々を調べたことなどを紹介した。
講演に移ると、水野さんは冒頭、大平古城は「国宝」という言葉を用いることができるほど素晴らしく、四百五十年ぐらい前の城跡がそのまま残っていることを話した。
大平古城は大平を取り囲む山並みの大平山から大平新城までの間の山の頂にあり、大半は、函南町との境界を挟んで同町日守地区に存在するが、一部が大平地区にかかっている。平成十年、静岡古城研究会の会員によって発見された。
水野さんによれば、中世の大平地区は駿河国駿東郡泉庄(いずみのしょう)大平郷と呼ばれ、後醍醐天皇から足利尊氏に与えられ、その後、今川氏の領地になった。
また、大平地区の山には、ほかにも複数の城跡があることに触れ、「広くない地域に、これだけの城があるのはなぜか。山城というのは戦う装置だということ。だから、それだけ戦いがあったという証になる」とした。
今川義元から家督を継いだ氏真は、武田氏との戦いで追われ、掛川城を明け渡して大平城に入る。「氏真が大平に入ったというのは間接的な文書しかない」としながらも「永禄十二年、氏真は五月十二日に掛川城を出て一カ月間ぐらい大平にいた。その大平は、どこなのか。大平郷はここしかなく、大平古城があることは確実」だとの見方を示した。
その上で、「僕は十数年前、徹底的に調べたが、氏真が入ったのは明らかに、ここ(大平古城)しかない。これは間違いないことで、(城の)構造から言っても間違いない」とした。
その構造は、今川氏の賎機(しずはた)山城(現静岡市、築城一四一〇年)に似ているという。
最後に、水野さんは「大平新城、大平古城は地域の歴史的文化遺産。公園化すると破壊に結びつくので、相談しながらいろいろな形で利用していただきたい。(古城の)これほどきちっと残っているのは他に例がない」と呼びかけた。
(沼朝平成27年2月11日号)
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