2012年9月22日土曜日

沼津周辺の貴重な文化財(四) 小野眞一


沼津周辺の貴重な文化財(四) 小野眞一
「高尾山古墳と三角縁神獣鏡」
 弥生時代の遺構として各地に円形や方形(四角形)の竪穴住居跡や、小型の土坑墓が存在したが、その後期には墓地として周囲に溝を廻(めぐ)らした円形周溝墓、方形周溝墓、前方後円型周溝墓等が出現した。これは地域における身分差の表れでもあろうが、次の古墳時代には円墳、方墳、前方後方墳、前方後円墳、双方中円墳など各種の墳丘墓に発展した。
 大和朝廷による国土統一が進行する三世紀中葉から四世紀代にかけて、中央や地方における首長クラスの墳墓である。前方後円墳は、天皇や皇族の陵墓を含み数は多いが、前方後方墳、方墳、円墳等は地方の首長墓を主とするようである。
 静岡県内での古墳時代前期の前方後円墳は、昭和五十八年の記録では八基であり、香川(「七)、奈良(一三)、大阪(一二)、岡山(一一)、兵庫()に次いで愛知県と共に全国六位であり、前方後方墳は岡山()、島根(五)、茨城()、徳島()、さらに栃木、石川、長野、滋賀と共に静岡も二基である。
 ただし、これらはあくまでも古墳時代前期の数で、中・後期を加えると大変な数になり、沼津の高尾山古墳等の前方後方墳も全国で 二〇余基になる。
 次に、前方後方墳は、その名の通り、前も後ろも方形で、後ろが正方形に近い墳丘(埋葬地)であり、前が細長い長方形または前広がりの台形(祭場)となっている。
 そこで、高尾山古墳について形を観察してみよう。
 まずは墳丘の主体部に東西に長く墓穴を掘り、内部に朱をまき、その上に木棺を納めていたようであるが、腐蝕して実態は確認できなかった。また、その周辺から出土した土器は、駿河湾地方主体の古式土師器(こしきはじき)である大廓式土器に属する壺や甕(かめ)、高杯(たかつき)等と共に、伊勢湾地方特有のS字甕(口縁断面がS字状の薄手土器)や祭祀用の直口壺、小型土器等であった。
 さらに被葬者は、駿河地方の首長であり、その遺体に副葬されていたものは銅製の鏡や鉄製の鏃(やじり)、装身具の勾玉(まがたま)等であった。
 この銅鏡=写真左=は周縁部断面が三角形をなし、背面には中国風の獣文や羽根付きの神人文と漢字が見られ、三角縁獣帯文あるいは三角縁神獣鏡と言われるもので、直径一三・五㌢であった。
 同様の鏡"写真下=が金岡地区中沢田で山麓を通過する根方街道を県道として直線的に改修する工事の際、大中寺西辺にあった道尾塚(どうおつか)から出土し、同寺に保存されている。

 これは直径二〇・三㌢と大型で、典型的な三角縁神獣鏡。昭和二年の『静岡県史跡名勝天然記念物調査報告第三集』で足立鍬太郎委員が紹介されている。しかし、道尾塚古墳は破壊され、その墳形は不明である。
 同様の鏡は外来品や模倣品を含め京都、奈良、大阪、福岡、兵庫、岡山といった畿内主体の西日本に多く、静岡県は全国十一位の出土数である。また、出土した古墳は前方後円墳が多く、円墳、方墳が続き、前方後方墳からの出土例は少ない。
 いずれにせよ貴重な古期文化財である。
(おわり)
 (元常葉短大教授・元加藤学園考古学研究所所長、富士市境)
《沼朝平成24922()号》

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