2012年9月21日金曜日

沼津周辺の貴重な文化財(三) 小野眞一


沼津周辺の貴重な文化財() 小野眞一
「浮島周辺の小銅鐸や木製・土製品」
 縄文時代に続く弥生時代は、金石併用時代であり、石器と共に鉄や銅による金属器が出現した時代である。
 紀元前五世紀ごろから、中国から多数の水稲耕作民が北九州に到来。朝鮮半島南部からも黒色磨研土器や金属器が伝わり、保存用の壺や、煮炊用の甕(かめ)、食物を盛る高杯(たかつき)や鉢などをセットとする弥生式土器が誕生した。そして、この時代の前期初頭には九州から近畿へ、続いて中期には中部から南関東、さらに後葉には本州北端の青森まで、新しい文化が発展した。
 さらに今から約二千百年ないし千九百年前の中期には、国内各地に農耕集落や水田が開け、後期には静岡市の登呂遺跡や沼津市の沢田遺跡、目黒身遺跡など多数の遺跡を残している。
 生活用具として農耕用の石鍬、穂摘み用の石包丁、木製の鍬先と鋤先、田下駄などが使われていたようだ。なお、宝器または楽器と言われる青銅製の銅鐸(どうたく)をはじめ、銅剣、銅戈(どうか)、鉄剣、鉄刀という武器のほか、銅鏡なども使用されている。ちなみに、横型田下駄「ナンバ」や縦型田下駄「大足」は、昭和二十年代まで浮島沼周辺の農家で同様のものが使用されていた。
 これらの中の銅鐸について略説すると、九州北部から関東にかけて見つかっているが、出土数を見ると、近畿が圧倒的である。静岡県でも多数見つかっており、特に県西部の遠州で、しかも西日本と共通して大きさも四○㌢ないし一㍍前後の大型のもの。さらに、その形式や紋様は突線紐の三遠式(三河、遠江地方特有)や、近畿式のものが多い。他に八㌢以下の小銅鐸が発見されているが、同様のものは県中部からも出土している。
 次に県東部では伊豆の国市田京の段遺跡から近畿式の大型銅鐸の破片が、また沼津市東井出の閑峰及び冨士市船津から小銅鐸が発見されている。
 この小銅鐸は、北九州、中国、東海、関東などのほか、青森や北海道からも出土している。ここでは沼津市東井出のものを写真=下=で紹介したが、高さ七・八㌢の完形品で、現在は東京国立博物館に保管されている。

 次に農耕に関運した木製品であるが、静岡県東部では沼津市の沢田新田や雄鹿塚遺跡、雌鹿遺跡の如く、旧浮島沼周辺の諸遺跡より突鍬や鋤鍬、田下駄などの農具、木杯(もくはい=鉢形木器)、片口式木器、杓子等の食器、建築材、杭など多種多様のものが多く出土しているが、雌鹿塚遣跡からは右と左に図示した鳥形木製品が小型の鹿形土製品などと共に発見されており、稲の豊作を祈る神聖な品とも考えられている。

 かくして、時代は次の古墳時代に入り、新たな発展期を迎えることになる。
(元常葉短大教脚授・元加藤学園考古学研究所所長、富士市境)
《沼朝平成24921()号》

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