沼津城の築城
安永6年(1777)10代将軍家治より沼津の地を与えられた水野忠友は、翌安永7年正月29日に、代官江川太郎左衛門より城地を受け取りました。その後江戸より松本時代の旧臣吉田雪翁が門弟を連れて沼津に入り、本丸や二の丸の見分見廻りをします。
5月になると御勘定所、地方、町方の役所の普請も完成します。
10月には築城のための絵図面が完成し、御用番を通して幕府へ提出しますが、この絵図面では認可されませんでした。
安永8年1月には城地の地鎮祭や大工の御鍬始も行われ、築城開始も間近となります。9月には大工棟梁に浅間町の大工幸右衛門を選び築城の水盛りもされました。
9月15日になると江戸より田沼意次(おきつぐ)の家来須藤次郎兵衛が来て、縄張り後最初の悪霊祓いの蟇目(ひさめ)の神事を行います。10月になると大工善四郎の水盛り坪数も算出され、11月26日には築城予定地の立木の入札が行われます。
安永9年4月に田沼意次の家来須藤次郎兵衛の絵図面で築城は認可され、天保3年(1832)に二重櫓が完成しますが、それが城の完成を意味するのかはよく分かりません。
安永9年に始まった沼津城の築城も、二重櫓の完成までに50年の年月を費やしています。
(「沼津城とその周辺」15頁 平成元年8月1日発行 沼津市歴民)
水野沼津城内配置資料
二ノ丸
堀巾(八間より十二間まで). 土居敷(四間) 土居(高九尺) 門 太鼓櫓(二間に二間) 冠木門 石橋
二ノ丸後郭
堀沼(巾十二間より四十八間まで) 土居敷(四間) 土居(高九尺) 棚門
三ノ丸
堀巾(八間より十二間まで) 土居敷(四間) 土居(高九尺) 大手橋(巾六間升形七間に十二間) 冠木門 石橋 丸馬出(木戸) 冠木門 石橋 二重櫓(四間半に四間) 惣堀(深さ六尺あるところは一丈五尺)
本丸
堀(三間より十五問) 土居敷(三間より四間まで) 堀巾(七尺) 三重櫓(五間半に五間) 問 多門 冠木門
帯郭
堀巾(八間より十五間まで) 土居敷(四問) 土居高(九尺) 二重櫓(四間半に四間)
(「沼津城とその周辺」15頁 平成元年8月1日発行 沼津市歴民)
とても綺麗に描かれて素晴らしいですね。貴重な資料ですね。
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