昭和49年(1974年)3月29日-西伊豆航路に初代「こばるとあろー」就航
(130トン、定員130人、平均速度24ノットの高速艇、それまでの龍宮丸13ノットの倍の速度、駿河湾カーフェリー就航に対抗して)
(2003年 (平成15年) 8月31日 -西伊豆航路 (沼津港-松崎港) 廃止。)
『地元、 社員ら 「寂しい」
伊豆の松崎港と沼津港を約八十分で結ぶ伊豆箱根鉄道の西伊豆航路が三十一日タ、 半世紀の歴史に幕を下ろし、
「こばるとあろー」
の愛称で親しまれた高速船も自慢の景勝豊かな航路から姿を消す。存続の願いがかなわなかった地元自治体、観光業界はもちろん、最終便出港を目前にして、長年運航に携わってきた社員の表情にも寂しさ、
無念さがのぞく。
唯一の海路を失う賀茂郡松崎、
西伊豆町は
「カーフェリーで海上ルートの復活を」
と決意を新たにする。
各港最終便は沼津午後三時十五分、 松崎同三時三十分に出港予定。 「やむを得ない決断だが、
さよならクルーズ企画の好反響を見ていると、
残念な思い。
長年のご愛顧に感謝しています」
と青木学同社船舶部長。
約十六年間、
松崎港で乗降客を迎えた山崎寛同社松崎船舶営業所長
(60)は
「浮かぶのは寂しいという言葉だけ。
お客様から喜びの言葉や数多くの感謝の手紙をいただいたことを思い出します」。
山崎所長は残務を九月中旬までに整理し、
航路の最後を見届けて定年退職する。
戸田港、
土肥港とは異なリ、
完全に海上誘客経路を失う松崎、
西伊豆の観光関係者からは「案内図に航路がなくなる心理的ダメージは大きい」
と声が上がる。深沢進松崎町長は「土肥-清水間のカーフェリー就航で県中西部、中京、山梨方面からの流入が増えた。 観光振興にはカーフェリーが欠かせない」
と指摘。
「建設中の松崎新港湾の早期完成を強力に推進し、
清水港、
御前崎港とつなげたい。
災害対応にも航路は必要」
と意気込む。
窪田一郎西伊豆町長も
「合併を目指す松崎町、
賀茂村と一致協力して取リ組みたい」
と述べる。
同航路は昭和二十九年に伊豆箱根鉄道が営業を開始、
四十九年から高速船「こばるとあろー」
が就航し、
平成三年には年間利用者二十四万人を数えたが、
マイカー客の割合増加や観光不況で利用者が減少し、
同社の不採算部門となっていた。
(8月31日静岡新聞朝刊)』
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