幕閣の権カ者水野忠成
沼津藩第二代藩主水野忠成(あきら)(一七六二~一八三四)ほ、文政期に老中首座と勝手掛とを兼ね、首相として幕政を堂握しました。11代将軍が、大御所として君臨した大御所時代、爛熟した文化が花開いた文化・文政期に政権を担った最高権力者だったのです。
忠成は旗本岡野智暁の子に生まれ、初代藩主水野忠友の養子となった人です。10代将軍の世子だった家斉の小姓をつとめ、家斉の持病の頭痛を冶す特技を持っていたことから重宝がられ、将軍になってからも信頼を受けました。
忠成が幕閣で行った経済政策は貨幣増発によるインフレ政策でした。これにより破綻に瀕していた幕府財政は一時救われることになりましたが、貨幣改鋳の悪影響は次の天保期に物価の高騰と基づく社会不安としてしわよせがいくことになりました。
忠成の時代、文政四年(一八二四)、同十二年(一八二九)にそれぞれ一石を加増ざれ、沼津藩は五万石になっています。
(「ぬまづ江戸時代図誌」5頁 平成5年3月31日 沼津市明治史料館 発行)
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