2013年1月16日水曜日

沼津代官:野村彦太夫為重の墓


野村彦太夫為重の墓(永明寺)

 沼津代官野村家三代
 沼津代官は幕府直轄領になった駿河国の東部地域を支配するために寛永一〇年(一六三三)に成立しました。同一九年(一六四二)に第二代沼津代官に就任した野村彦太夫為重以後、為利・為政と三代四〇年間にわたり野村氏が世襲で沼津代官をつとめます。
 野村氏は為重の父為勝の代に秀忠に仕え、関ケ原の役や大坂の陣にも参加しました。代官職になったのも為勝の代からで、為重は寛永一〇年に父の跡を継ぎ代官となり、武蔵・相模の幕府領を支配し、沼津代官になってからも関東での代官職を兼務していました。
 野村氏は「地方巧者」の代官として、深良用水の開削、浮島沼の開発などに積極的に取り組みましたが、五代将軍綱吉による代官粛正により天和二年(一六八二)為政は代官を罷免され、代って、野村氏のような在地性を持たない吏僚型の代官が就任することになりました。
〈参考〉関根省治『近世初期幕領支配の研究』(雄山閣出版、一九九二年)

0 件のコメント:

コメントを投稿